愛するみなさま

こんばんは。(^-^)

いつもアナナスのブログに来てくださってありがとうございます!
あなたの存在にこころから感謝します。

今日も本当にありがとうございます! ^^



さて。。。 私のアメリカ、カリフォルニア在住の親戚が帰国して一カ月弱経ちましたが、、
いろいろまだ続きがありました。。。

今回は来日しなかった親戚のお話を少し。。

ミヨコさんの長女アン(78)は、41才のとき、3人の男の子のお母さんでした。
一番上の息子が中学3年生、次が2年生、その次の子も、1年生か、または、小学校6年生くらい。。

しかし、、、いきなり、彼女の旦那さん(とってもマッチョで、強そうな男性!)が急死しました。
かわいそうに、、、きっと、どんな衝撃だったでしょう。。

アンは、彼女の母親、ミヨコさんと同じく、40代はじめに、旦那さんを喪ったわけでした。

アンは、ふつうの主婦だったのが、紆余曲折の末、不動産業のバリバリのキャリアパーソンになっていきます。
きっと、仕事に就いた当初は、たいへんだったと想像しますが。。。
今や、彼女はかっこいいです。。仕事できそうです。。 ^^

髪の毛を短くして、お化粧は、70才過ぎてもばっちり決めていて、、
マスカラもしっかり。目力がある。。!
ネイルも美しく。 胸元に深く切れ込み?のある、シックなデザインの服を好んで着て。
いくつになっても美しいアン。。 

ところで、このアンは、先月、来日しなかったのですが、、、 
明るいニュースがあるとのこと。。。

なんと、、、

78才にして! ボーイフレンドができたそうです! 
ヽ(^。^)ノ わぁお!


現在、50才前後の3人の息子、および孫たちは、アンにボーイフレンドができたことを、非常に喜び、祝福しているそうです。。。

なんだかアメリカらしいなあ、と思いました。。。

あなたの周りの、78才の女性を誰か想像してみてください、、ボーイフレンドが最近できた人いますか? (^◇^)

78才で、同年代の彼氏ができて、息子、娘、孫と恋話で、楽しく盛り上がっている女性、、
あなたの近くにいますか? ^^
日本の典型的な、おばあちゃんって、、あまり、ボーイフレンドの話とは無縁のような印象が。。??
70才過ぎの女性といえば、がばいばあちゃんを想像してしまうからなんでしょうか。。。
私が知らないだけかな・・・・ ^^ ふふ。。
、、、



また別のアメリカの親戚の話。。

彼女は、ミヨコさんの二番目の娘、マリーの旦那さんの、そのお母さま。
彼女とは面識がないのですが、確か、もう、97才。。ひとり暮らし。

この人が、90才になって、体調を悪くした。
もう、年も年だしねえ、、みんなに心配された

もしかしたら、このまま、弱っていくばかりかしら?

しかし!

そのあとだんだん元気になってきて、95才から、旅行に出かけるようになった。

それが楽しくて、、、
今は、97才で、海外旅行に出かけるようになった!
メキシコ、カナダ、、、
ハワイはアメリカ国内だけど。。カリフォルニアからは遠いから。。^^

私、この話聞いて、 ≪すげええ!≫ と、叫んじゃいました! (^◇^)
自分の人生を生きているアメリカさん方! 
私はいつも、アメリカの親戚から、元気をもらいます!ありがたいです!



以上。 今日も私におつきあいくださりありがとうございました!


わたしはさくら大好きです。
さくらはみんなのこころを癒す。

さくらの木は、桜の花を咲かせる、という大仕事を終えて、
今、葉っぱの緑が瑞々しいです。きれいね。
あなたの住んでいる場所でもそうでしょうね。 (^-^)

ありがとね~ 

よかったよかった♪ (^-^)

愛するみなさま

こんばんは。(^-^)

いつもアナナスのブログに来てくださってありがとうございます。
あなたの存在にこころから感謝します。 (^-^)

さて。

さて。前回に引き続き、来日中の、私のアメリカの親戚の話しを書きます。
おつきあいくださりありがとうございます! m(__)m

私、母、夫で、先日、恵比寿ガーデンプレイスにある、ウェイスティンホテルの最上階にある
レストランで、アメリカさん6人とランチをしました。

このホテル、行かれた方はご存知だと思いますが、、なかなかファンシーなホテルだと思います。



皆は、ステーキ・フルコースや、すき焼きのフルコースを食べ。。

私は、真鯛のトマトソースあえのフルコースをいただきました。(おいしかった。。^^)
赤ワインは、なめただけで、心臓がバクバクしてきたのでやめました。
(私は完璧な下戸!(^◇^))



親戚の1930年代~現在に至るまでの家族の歴史について、が、話のメインテーマでした。
今回の旅で、彼らが知らなかったような、昔の話がでてきました。

大正時代に、私の母方の親戚で、岩手県から、アメリカ、カリフォルニアの地に渡った、
日系1世、2世はすでに亡き人々です。

(写真は、日系1世の人々。1930年代)



。。。



私の母のいとこである、アメリカ生まれの2世、
ミヨコさんは、2000年に亡くなり。。
今回来日した、ミヨコさんの息子、娘も、もはや70代です。

そのくらいの年代になると、余計、自分のルーツを知りたい、という気持ちになるのでしょうか。
日本、という、母国から離れて暮らした1世、2世の、望郷の思いが、
子孫に、脈々と、残っているのかもしれないですね。

彼らが今回、来日したことで、彼らの父(日系1世、1957年に故人)の、
日本在住、青年の時代を、その弟やその子孫から聞くことができました。
古い写真もたくさん残っていて。1900年代初頭からの家族の歴史が明らかになりました。

父母が亡くなっても、、、その父母と血がつながっている日本側の親戚と関わることで、
彼らのこころの位置が、日本や亡き両親に、そぐうような気持ちになっているのかな、、
などと思いました。。



マリー(76)が、アメリカに帰国してから、旦那さん(76)と孫(一番上21才~13才、6人。)
のために、巻きずしを作りたい、と言いました。
それには、うなぎの缶詰(かばやき)が必要だそうで。

なんでも、うなぎ3切れ入った缶詰( 缶は、縦10cm×横5cm 厚さ2cm程度の大きさ)を、
ロサンジェルスで買うと、16ドル!するそうで!
それで、日本製のうなぎの缶詰をこの際、たくさん買って帰りたい、というご希望。

ーーみなさん、うなぎの缶詰って、見たことありました?

私、ありませんでした。 ^^

先輩(夫)が調べたら、渋谷の西武百貨店の食品売り場にあるそうで。。。

その話を、マリー、先輩、私で、にぎやかにしていたら、

ジョージ(70)が、ニヤリとしながら、
≪うなぎが生で入っている缶詰があるのかい!?≫ 

と、冗談? か、本気か、言うので、みんなで大笑いしました。

先輩が、
≪洗面器みたいな大きさの缶詰を開けて、うなぎが生で、とぐろを巻いていたら、
さぞかし、ショックだろうね!!≫
 と、叫びました。 みな大笑い。



いい具合の親戚の集まりでした。。。。



その日の終わりに、恵比寿駅の改札で、それぞれハグをして、さよならを言いました。

なんだかとってもあったかいお別れでした。

≪またアメリカにきなさい!≫ と、マリー(76)
から、日本語で言われました。(^-^)ありがたいことでした。
日本の田舎のおばちゃんから、言われたような、あったかさ。
いや、本当は、ロスアンジェルス在住のおばちゃんなんですけど。。 ^^

ということで、今日も私におつきあいくださりありがとうございました。m(__)m

愛するみなさま

こんにちは。(^-^)

いつもアナナスのブログに来てくださってありがとうございます。
あなたの存在にこころから感謝します! 



前回、あなたに、私のアメリカの親戚の話を聞いていただきました。
私の母のいとこ、ミヨコさん(1915- 2000)の、旦那さん、カズさん(1900- 1957)の話。

(ミヨコさん、カズさん夫婦と2人の娘。(息子はまだ生まれていない)
おそらく、1937年くらい。)
(ミヨコさんとてもきれいな人。この写真ではふっくらしています。)



。。。。



今回来日したうちの2人は、ミヨコさん、カズさん夫婦の次女マリー(76)(写真の赤ちゃん!)
息子、ジョージ(70)、、そして、それぞれの伴侶。

および、ミヨコさん、カズさん夫婦の長女アン(77)の、二男夫婦も来日しました。
(妻はメキシコ系アメリカ人! いかにも、肉食系女子! )



そして、今回、父親カズさんの、23才年下の弟が存命だとわかり、それで、
ジョージとマリーは、実のおじさんとその息子夫婦に会いに、家族を伴って来日したわけでした。

場所は、川崎のとある中華レストランでした。
コース料理を注文してありました。。 前菜、スープからはじまり。。。
でも、料理より、目の前にいる人々とのやりとりが刺激的で、味なんてわかりませんでした。



(70代の2人が、93才のおじさんに会う! 
ジョージと、マリーは、アメリカ式のハグをするのかと思ったら、おじさんと、静かに握手していました。
とても感動している様子でした。

それを見ていた私は、不思議な感覚になりました。 
ひとりの人生には、関係している人々の歴史が背景にあるのだ、ということ!)

(写真で青い洋服の人が私、アナナスです。)

彼らのおじさん、郁生さんは、93才(1919年、大正8年生まれ!)で、元気でした。
日本が激動の時代に生きた人でした。

(郁生さんの兄、カズさんが1900年生まれ、というのは、アメリカのお墓の記録から。
しかし、見せていただいた戸籍によると、カズさんは、1896年生まれ、でした。
どうしてこういう食い違いができたのか、私はわかりません。)サバをよんだ??(^◇^)?

話を郁生さんに戻します。
おじさんが生まれたころ、生家は、名古屋県で牧場!をしていたそうです。
なんでも、乳牛が15頭、やぎが数頭いたそうです。

乳牛から乳をしぼり、それを、お客さんの家に配達していたそうな。。

郁生さんのお父さんは、郁生さんに牧場をついでもらいたいと思っていました、
しかし、郁生さん自身は、アメリカかドイツに渡り、飛行機関係の仕事をしたいと
思っていたそうです。

1941年、おじさんが22才の時、太平洋戦争がはじまりました。
日本は、アメリカとイギリスに宣戦布告しました。。。。。

その時、郁生さんは、航空学を学ぶ大学生でした。

父親の喜一さんは、当時としては珍しく、アメリカ渡航の経験があり、アメリカと日本の資源に、
歴然とした差がある、と、知っていたので、
息子に、≪絶対に、軍隊に入るな、この戦争は日本が負ける、≫と言いました。

しかし、、、、あの当時の、血気盛んな若者がそんなことを聞くでしょうか。
身内からこう諌められた人が、むしろ、母国愛に燃えたち、軍隊に志願して入り、
そして、戦死した例など、数え切れない例でしょう。。



郁生さんは、自分で志願して、戦争に行くことになりました。
航空関係の専門家であった彼は、中国の奉天にある、戦闘機の部品を作る工場に配属されました。
中尉の階級、工場では、マネージャーのような立場に着きました。



最初は勢いがあった日本軍ですが、戦況はじわじわと追い込まれていきました。

父親の喜一さんは、牧場を売り、廃業しました。
彼が言うには、これからだんだん、人間の食べ物がなくなっていくのに、牛のエサ
どころではないだろう、ということだったそうです。(そのとおりになりました。)

ほどなく、日本国内でも、だんだん物資不足、食べ物が不足していく事態になっていきました。

戦況が悪化していき、日本が南方戦線で負けていっていることは、国民には知らされませんでした。。



結局、1945年8月、ポツダム宣言受諾。
無条件降伏、という事態。。。。
(戦勝国に対して、一切の条件を付けずに負ける、ということがどんなことなのか、、、、、
徹底的な敗北、ということでしょう。)


郁生さんは、戦争終結時、まだ中国にいましたが、ほどなく、ロシア軍が南下してきて、
他の仲間とともに逮捕され、シベリアに強制連行されていきました。

シベリアでは、水のようなおかゆの食事、極寒の気候に震え、、重労働をさせられました。
森で、また、畑での労働。。
仲間がバタバタと、死んでは放置されました。。。。

あまりの飢えに、森での作業中、なんでもいいから、木の葉を口に入れて咀嚼し飲み込んだ、
と、言っていました。。。

ここには、旧日本軍人だけでなく、ドイツ人、ハンガリー人、またそれ以外のヨーロッパ人も、
強制連行された人々がいたそうです。
郁生さんと同じ状況を耐え忍ぶ仲間でした。。

シベリアでは2年間、なんとか耐え忍びました。。
そして、解放されました。。



日本に、帰国後、飛行機のエンジニアだった経歴を生かそうと、就職活動をしました。

しかし、駐留アメリカ軍が、飛行機のエンジニアはニ度と表で活躍できないように、
圧力をかけていたそうで。。
郁生さんは、どこにいっても就職を断られました。

仕方ないので、彼は、福岡に行き、教師の口を探しました。。。。



現在、93才の郁生さんがため息をついて言うのは、、

もし、太平洋戦争がなかったら、自分は今、日本にいないと思う。
アメリカか、ドイツにいて、航空関係の仕事をしているはずだ、、、


でした。。

今日は、私の親戚、アメリカさんの父方のおじさん、郁生さんのお話でした。

今日も私におつきあいくださりありがとうございました。m(__)m

愛するみなさま

こんにちは。(^-^)

いつもアナナスのブログに来てくださってありがとうございます。

あなたの存在にこころから感謝しています!
いつも本当にありがとうございます! (^-^)



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私は、アメリカ、カリフォルニア在住の親戚がいます。

私の母方の親戚で、大正時代に、岩手からカリフォルニア移民になった人がいます。
(当時は、横浜から船に乗り、カリフォルニアの地に着くまで、1か月の船旅だったそうで。)
このブログでも以前紹介しました、ミヨコさん、は、1915年カリフォルニア生まれの
2世です。

一方、カズさんという男性は、1900年、名古屋生まれで、20代でカリフォルニアに渡りました。
彼は、35才で、20才のミヨコさんと結婚しました。

カズさんは、移民当時、貧しい農民として、畑を耕すところから始まり、、、
苦労の末、その地でスーパーマーケットを経営するまで成功しました。


(カズさん経営、スーパーマーケットの写真
1930年代~1941頃)



。。。。



しかし、その後、1941年、太平洋戦争があり、日系の家族はすべて、アメリカ国家から、
強制収容所への移動を強制された。

日系アメリカ人の過酷な時代でした。
収容所に入れられる際、携帯が認められたのは、一人につき、ボストンバックひとつに入る
私物のみだったそうで。
カズさん、ミヨコさんには、その時、4才、3才の女の子2人の子供がいて。
どんな気持ちだったでしょうか。

この数年に渡る収容所の生活の間、、もうひとり男の子が生まれ。。

しかし、後に残してきた家屋、お店、私物のすべては、国家から没収、処分されていたそうです。。。

収容所から出た時、手元にあるのは、健康な体と、妻、食べ盛りの子供3人と、
強力な信頼関係を土台にした、日系の人々とのつながり。。
それから、手に20ドルだけ。。。。家もお店もなくなり。。。。
それは、ほかの日系の家族も同じ。。

戦後になっても、敵国の人間というラベルはなかなかはがせず、ひどい差別も経験し、、、、
日系人どうしが、結束して、なんとかかんとか、生きのびた時代だったのでしょう。。。

カズさんは、再度、アメリカで成功するために非常に努力をし、、、50代に入ってから、
お店を手に入れました。



しかし、長いこと心労があったのでしょう、、

彼は、1957年、57才で肺病のため、亡くなります。。。
42才の妻ミヨコさん、21才の娘アン、20才の娘マリー、13才の息子ジョージを残して。

次女のマリーは、病床の父カズさんに、婚約者を会わせることができたそうです。
(それだけはよかった、と、70才を過ぎてから、私に言いました。。)



現在、このカズさんは、妻ミヨコさんと共に、ロスアンジェルスの墓地に眠っています。
(私は、2009年に、彼らの墓参りをしました。)



このカズさんの、次女マリー、、息子ジョージは、現在70代ですが。。
それぞれ伴侶を伴って、また、カズさんの長女アンの息子夫婦、ルー、ディディ
と共に、今回、来日しました。。

今回彼らの旅の目的は、父親である、カズさんの親戚に会うため!

ずっと音信普通になってしまっていた、カズさんの弟が、調査の末、
存命だとわかったそうで。(90才!)



私たちにとっては不思議なつながりです。

だって、東京在住の私たちが、カリフォルニア在住、母のいとこの子孫と、
その人たちの日本在住、父方の親戚とも会う、なんて、、ちよっとありえない話でしょう?
遠い親戚の、そのまた親戚って、どこまでつながるのかな、、、、 ^^
(家系図すごいことになってます! ^^)

私とジョージ、マリー、アンが一番、血のつながりが濃いはずですが、
計算してみたら、1.5625% が、彼らと同じ血が流れているパーセントでした。。。 ^^

(^-^)

さてさて。。どうなることやら。。。
待ち合わせは、神奈川県にある、ホテルの中華レストランでした。。。。
このお話はまた次回に続きます。



今日も私におつきあいくださりありがとうございました。
あなたに愛をこめて。 (^-^)

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アメリカさんとのこれまでのやりとりについては、右カラム、カテゴリー
≪アメリカさんとのやりとり≫ をクリックしてくださいね。
もしよろしかったら。 ^^

愛するみなさま

こんばんは。(^-^)
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今年2012年は、タイタニック沈没から100年なんですね。
戦争以外で、こんなに甚大な被害を出した海難事故は、前代未聞ですね。
当時の人が、どんなに驚愕したか、、、想像を絶したものだったでしょうね。

1997年公開映画、≪タイタニック≫が、再度、今年、3Dで公開されていますね。
あなたはご欄になりましたでしょうか。

あの沈没シーン、驚愕しませんでしたか?
3Dになると、さらにすごそうですね。。 (汗)

タイタニックが座礁して、どんどん沈没していき、最後は、電気も消えて、
人々がパニックして海に投げ出され、巨大船の本体が2つに割れて、
深い海の底に沈んでいく。。。引きずり込まれていく。。。

氷山衝突から沈没まで、わずか2時間半くらい。

1997年に映画館で見た時、そのリアルさに驚愕しました。
さらに、≪私これ見たことある!≫ と、臨場感を持って思いだし、3度映画館に通いました。

しかし、、、
私はその時、タイタニックの乗客ではなくて、遭難して、死に移行していく人々を助ける
サポーターのひとりではなかったかと。。。。

というのは、、、
私の視線は、海のはるか上から、彼らの遭難の状況を、俯瞰してみているのです。
真っ暗な海にいる小さな心細そうなタイタニック、人々の阿鼻叫喚。。。

そのあと、私がいたチームは、遭難して死亡した人々が、向こうへ移行できるような、
サポートをしていた、、、のだととらえています。

(それ以外は覚えていないので、何ともいえないのですが。。)

とにかく、翌朝、救助に向かったカラパッチア号が間に合わなかった、
氷点下の海水で凍りつき、死に至った人々は、、見えざるサポーターの手で、
死への移行を助けられたことは本当だと思います。。。

奇妙なことに、タイタニック号の沈没については、不思議な共感を覚えます。。 
なんでまた、と、思うのですが。。。。

そんなにドラマチックなことに、遭遇しないとしても、
私たちの人生では、いろんなことがありますね。 (^-^)

今日も私におつきあいくださりありがとうございました。 

愛するみなさま

こんばんは。(^-^)
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ありがとうございます! ^^


さて。。今日はある知人の青年の話を。

彼は、現在25才。
四国のある県から18才で上京。 

その後、フリーターをして、コンビニや、倉庫作業、など、アルバイトを転々。
今、落ち着いて、スーパーのレジ打ちと、もうひとつ、別のお仕事も夜間している。

ずっと人生で何がやりたいかわからなかったけれど、やっと、アロマセラピストに
なりたい、と発見。 

スクールをいろいろ調べた。どうも女性のほうが多い業界みたい。
女性の肌を直接、男性がマッサージするようなことは、できなさそう。

でも、自分は、香りが好き。香りで癒される。
傷ついた人、疲れた人が癒されるよう、香りでお手伝いできたら、と、思っている。
とても優しいデリケートな感受性を持った青年。。

これまで、3つのアルバイトを掛け持ちして働きながら、つましい生活をして、
やっと、お金をためた。
昨年から、2つのアルバイトに減らして、スクールに通うことができている。。。

このひとは、とても誠実に、そして着実に、自分の道を歩いている。
自分のやりたいことがわかるまで、時間がかかったし、はっきりしてからも、
それが自分にできるかどうか、プロの人に聞いたり、情報を集めて、
好きなことへの距離を縮めていった。。。

田舎を出る時、どういう道に求職していいかわからなかった、という理由で、
そのまま素直に、わからないまま、自分を信じて、歩いていったのも、
ひとつの誠実な生き方なのかな、と、彼を見て思った。。

私は彼を応援している。。 ^^



もうひとりの例。

ある男性。35才。
彼はやりたい仕事があるが、それだけではまだ生きていけないので、別にアルバイト
をしている。

アルバイトは、清掃の仕事を選んだ。。。
デパートのトイレや、エスカレータの手すり、、一日中、そうしている。

手にぞうきんを持って、人間観察するにはもってこいだ、と、言う。

買い物をしていくたくさんの人々は、まるで彼のことなんか、見えないみたい。
流れる川のように、人々は来ては去っていく。。

相手の社会的立場、性別、年齢に関わりなく、その人がどんな価値観を持っているか、
彼は、もっと、よくわかるようになったという。。。

とても覚めた目で、彼は、デパートというカオスを歩いている。。。
まるで、行者のように。。
こんな賢い行者が、まさか、気楽に買い物をしている人々の間にまぎれているとは、
不思議なものだ。

彼は、それで、何かの達観に到達するのかもしれない。。
そして、納得したら、次のテーマが動くのかもしれない。。

彼らがやろうとしていること、そして、やりたいこと。。。
それらの青写真は、もう存在しているのだろう。。。

私もあなたも、旅人。。。。



今日も私にお付き合いくださりありがとうございました。(^-^)

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