インド人兄からエメラルドの指輪を預かった話

愛するみなさま

今日もあなたがいてくださってありがとうございます。^^)

今日のお話は、昔の私の体験から。

インド人兄からエメラルドの指輪を預かった話

南インド、アンドラブラデッシュ州のある町。

私はその時、インド兄と一緒にいました。私は当時、32才で、インド兄は41才でした。

彼は、カシミール地方(北インド)出身ですが、この時は、アンドラブラデッシュ州の町にある、彼が経営する店、アンティークショップで、営業をしていました。

白い帽子、上下白のパジャマクルタ、という民族服。 身長は170cmくらい。とてもやせ型の体形で、余分な肉がまったくといっていいほどありません。 精悍で、眼光は鋭くも優しく、鼻が高く、顔の彫が深く。 とてもユーモアがあり、懐の深いひと。

彼の父親は、聖人といってもさしつかえないような静謐を持つ方であり、息子であるインド兄も、やはり、非常に深みのある、特別な方だと思われた。

 

インド兄の店、アンティークショップのドアを開けると、せいぜい畳10帖ほどの空間。

入口を入ると、壁三方に、インドの土産物、ショール、アクセサリー、小さな絨毯、小物、、いろんなものが、びっちりとおいてありました。全部、値段はついていません。

 

ディスプレイされているピアスやネックレスはとても大振りなものばかりで、目力があり、黒のアイラインをきっちり濃く描いたインド、アラビア方面の女性にだけ似合いそうなものばかり。

原色の濃い色のサリーやパジャマクルタ(インド服)を着た迫力あるインド美人がイメージできる。

 

宝石だけは、インド兄が、黒のアタッシュケースに入れて、いつも彼が座る席の近くにおいていました。 このアタッシュケース内部には、ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、、ペンダントヘッドや指輪、、様々なものが入れられてありました。 小さな宝石から、もう少し大きなサイズまで。。 彼の宝物が、はいっていました。

 

少し暗めの店内で、インドの小物に囲まれながら、インド兄は、客がいなければ、たいてい寝転がっていました。 私がいる時も、寝転がりくつろいでいました。

彼が言うには、<身体を休ませながら生きていくことはだいじ。こころや頭が活動的でも、それと同じ速度で身体は動けない。身体には休みが必要。座れる時に立っていることはない。寝転がれる時は、寝転がるほうがいい。>(これと同様のことを、イギリスのチャーチル元首相も言っていたのを、あとで知った。)

 

そう! 冬は-20℃にもなるカシミール地方出身の彼が、常夏状態の南インドで過ごしているだけでたいへんだったろう。

アンドラブラデッシュのこの町は、常に埃っぽく、舗装されていない道路に風が吹けば、ほこりが舞う。 大雨が降れば一日で、大きな池ができる。とにかく、身体に負担がかかる場所だ。

過ごしやすい冬、12、1月も33℃はある。

2月に入れば、気温はじわりじわり上昇し、、

最高に暑い4、5月は、毎日40℃以上。。45℃とか、50℃とか。。

だから、身体の中に入り、生き延びるために、休み休みいくのが、この土地では正解だと思った。。

 

話を戻す。。

日本では、あるお店の宝石屋で、エメラルドの指輪を買うとしたら、私がお客になろうが、あなたがお客になろうが、とにかく、値札に20万円と書いてあるなら、20万円であることは、変わらないですよね? 値札の値段は、<そういうものだ>、という、いい含みがあります。

 

しかし、インドでは違いました。

たとえば、南インド。アンドラプラディッシュ州。インド兄のこの店。

小さな宝石がついたペンダントヘッドが、ある人には、300$ また、ある人には500$と、値段設定を変える。

インド兄が(この人きらいだから)売りたくない、という相手には、その同じもを、2000$!と言ったり。(私は”おととい来やがれ価格”と、ひそかに呼んだ。笑) そう!彼は、(明らかに!)いやな相手には、好きなものを売りたくないのだ!

相手により、値段が変わります。

 

彼の対人間のスタイルがあって。。

ヒエラルキーの一番下は、カスタマー(顧客)、その上に、フレンド、その上がファミリー。

 

カスタマーに対しては、値段は高いです。彼は、9人の家族(父母、妻、子ども5人)を養わなければならないので、これは必要です。彼だけが、ビジネスをしていて、お金を稼ぐ人です。あとの人たちはみんな扶養家族です。

フレンドに対しては、カスタマーに対してより、心持ち安めの価格にしているようです。<お前のためにはこの宝石がいいぞ♡ (その理由の説明が続く、、、)>と、彼からじっと見つめられると、あまりにも魅力的なので、買いたい気持ちになるかも。笑

フレンド、ファミリーと、彼が認めた人に対しては、彼は非常にサポーティブでした。

インド兄からの<親切><思いやり>のありがたみを、これまで何度味わったことか!

 

私は、インド兄とは、過去世からの間がら(修行仲間!)ですが、、彼と一番最初に会った時は、ヒエラルキーの一番下、”カスタマー” として扱われました。

<お前は、俺から、宝石を買える、ありがたいことだぞ!> みたいな感じが、ありました。!笑) 低品質のガーネットのネックレスを、100$で購入したり、、しました。、、

 

彼の育ち盛りのかわいい子どもたちをすでに紹介されていて、この子どもたちが、とても良い子ばかりで。。。

<お父さん、ヒサコ(私)に、安く売ってあげてね♡> なんて、父親に言っているのを聞き(いやいや!お父さんは、がんばって、あなたたちの食事代を稼いでいるんだよ~! ^^)) などと思いました。

 

そんなインド兄と、3回目に会った時。。

私は、ファミリーに昇格していました! ^^)

インド兄は、私が来るのに合わせ、アンドラプラディッシュ州の、最寄り空港まで迎えにきてくれました。

私が、空港の到着ゲートからでてきたのを見たら、笑顔で手を振ってくれました。 彼は口のまわりに髭を蓄えていました。

私が滞在するためのマンションの部屋も、インド兄が交渉して、安めに借りておいてくれて。3週間の滞在は、そこでできました。。

 

 

ある日、インド兄の黒のアタッシュケースの中を見せてもらった時に、私は、エメラルドの指輪がすてきだと思いました。

すると、彼は、私の手に、その指輪を乗せて、

<数日、これをはめているといい。お前に合う石なら、よい夢をみたり、よいことがあるだろう。 もし、合わない石なら、よくない夢をみるかも。。 数日もってつけていなさい。>

 

えええ!私、買うって言っていないよ!

 

<まだ買うかどうか決めなくていい。とにかく、数日、お前にこの指輪を預けるから、テイストして、よかったら買えばいい!>

おお! このインド兄からの信頼、すごいなと思いました。。

<お前はよい魂を持っている>と、言ってくれました。

今まで、インドで、ひどい目に合うことも多々あり、、にんげんきらいになるのもありえました、、(でもまあ、みんな一生懸命に、なんとか生きしのいでいるところに、、お金もって、物見遊山で来ている若者(当時のわたくし)がいたら、いろんな反応になるのはわからないではない!)

 

チャイをすするインド兄の言葉にうなずき、、、

エメラルドの指輪を預かることにしました。

日中は、その指輪をはめて、夜は、柔らかい小さな袋の中に入れて、その袋をバックに入れて、枕元において寝ました。

数日、そんなふうに過ごしました。

 

この数日前、実は、すでに別の指輪を購入していました、、土産物屋さんで買った、イエス様のお顔がバーンとついていたものでした。ちょっといいなあと思いました。 値段は、日本円で50円もしなかったのでは。。。

 

それで、日中、エメラルドの指輪と、イエス様のお顔付き指輪!を、左手の指にはめていて、、それを2日ほどくりかえしたあと、、、

<2つの指輪をするのはなんだか、めんどくさいなあ>、と、ふと思ったのです、、、 文句をたれた、というか、、、

 

その夜、いつものように、エメラルドの指輪を、小さな袋に入れて、イエス様指輪のほうはそのまま、とにかく、バック中に入れて、、夜、寝ました。

そして、

翌朝、バックを開けたら、、どちらの指輪も、、、、みつかりません!

ないんです!

バックの中を全部、出して、確認しても、、、指輪はありません。。。。

 

あららららら! 何が起きたのかと思いました、、、、

誰かが来て私のバックの中の指輪をもっていった??? 部屋に誰かが入った形跡など、ありません。

 

イエス様の指輪のほうは、自分で買ったのだから、なくなってもまだいいです。

しかし、インド兄から預かった指輪は、、、、、、、、まずいわ、、、、、、、

 

私は、仕方ないので、自分の部屋をでて、

インド兄の店まで、12分の埃っほい道のりを、とぽとぼ、歩きました。。

 

アンティークショップのドアを開けると、インド兄は、いつものように寝転がっていて、笑顔で迎えてくれました。。

<ヒサコ、ゲンキカアア? (ここだけ日本語!)>

 

私の眉毛はきっと、ハの字になっていて、、エメラルドの指輪がなくなったことを話しました。。。ゴメンナサイ、、と言って。。 (この料金を、今からでも払わなくては、と、こころの中で思って、兄の次の言葉を待ちました。)

 

すると、インド兄は、静かに、こう言いました。

 

<ヒサコ、、、指輪は、お前より、それを必要な人がもっていったのだよ。>

 

ええええええ。。。。何だそれ!!!

インド兄が言うには、

その指輪を、<誰が> もっていったのかは、気にしなくていい、

とにかく、お前よりも、その<誰か>、が、もっと必要あって、それをもっていった、その全体の配剤については、神様の管轄だから、お前が気にすることではない

 

この、兄の、スピリチュアルな顔のほうに、何かがくぜんとしました。。

 

私がおもいあたる理由としては、前日、<この2つ指輪をはめるのは面倒くさいからいらない>と思ったことであり、それが、言葉とおりに、そのとおりになった、でした。

 

とにかく、インド兄と話しあい、私は、エメラルドの指輪の代金を確か、払ったと記憶しています。。。。。。

 

この時、インド兄から学んだことは。。。

 

モノは、、、、、、永遠ではないんです。

自分のそばにある時、<使わせていただいている時>にこそ、それは、いのちを吹き込まれ、あなたにとって! 意味があります。

 

モノを、それの料金を払ったのだから <自分のモノとして所有している>、、、、、というのは、大いなる幻想のように思いました。。

そのモノ側にも、ことばを話さないけれど、エッセンスのようなものがあり。それは、適切な尊重はされるべきだ、という、意識にかわりました。

 

このモノ、、は、自分の身体すら、含みます!

自分の身体を構成している物質を、いつか、地球に、お返しする時がきます。

今、使わせていただいている、んです。 貸していただいているものを、どうよりよく使うかは、私たちに託されています。 ^^) 魂は永遠です。

あなたに愛をこめて。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA