2019年9/30アメリカ人歌手 ジェシー・ノーマンさん追悼

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ジェシー・ノーマンさん 画像元:wiki

2019年9/30に、アフリカ系アメリカ人のソプラノ歌手、ジェシー・ノーマンさんが、お亡くなりになったそうです。(1945~2019) 享年74才。

 

私の思い出としては、1992?年、バブルの頃、東京、サントリーホールで、ジェシー・ノーマンさんのコンサートがありまして、行きました。

このとき、私はジェシー・ノーマンさんのことはまったく知らず、友人からお誘いされていきました。

 

舞台に現れたジェシー・ノーマンさんは、このとき、47才くらいであり。とても大ぶりな身体のサイズに、アフリカ系の人たちが着るガウンのような衣装を、ゆったりと豪華に着ていて、とても朗らかな印象を持ちました。

この時の曲目は、確か、黒人霊歌がメインだったと記憶しています。

 

昔、主にヨーロッパの人々が、アフリカから、無垢な一般人であった現地の人々を誘拐し、奴隷として、新大陸(アメリカ)で売っていった、、その、奴隷であった人々が、苦しい生活から生みだしていったのが、黒人霊歌でした。

 

アレックス・ヘイリー著<ルーツ>という小説は、1970年代後半、ベストセラーになりました。

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西アフリカで、普通に暮らしていた若い男性クンタ・キンテが、1767年に、白人に捕えられ、いやがる彼や仲間を、無理やり、鎖につなぎ、港から船に乗せた。

彼らは鎖により自由を奪われ、荷物のように船底の空間にあるいくつもの棚に、まるで、手荷物を置くように隙間なく寝かされ、寝返りもできない、最低限の水と食べ物、排泄物は垂れ流し状態で、、新大陸(アメリカ)まで、船で運ばれ、、(船にいる間に、あまりのショックから、いのちを落とした人々も多数、、、、、、、)

アメリカに着いたら、裕福な白人に、競売(人身売買)されてしまう、、、

その後、クンタ・キンテは、新しい呼び名を一方的に与えられ、アメリカ南部でプランテーションで働く奴隷として、苦難の人生を歩み、その娘、その息子、、、、

それ以降の子孫、、クンタ・キンテから6代目にあたる、アレックス・ヘイリーさん(1921~1992)にまで至るまでの代々の体験談をもとにした小説でした。

あまりにもショックな経験ばかりなので、読む側の涙はストップし、ただ、凍り付くばかりです。。

 

アメリカ人の多くが、自分の先祖がアメリカに至る前の、出自を誇りとしているのでは、などと想像いたします。たとえば、日系アメリカ人だった私の亡き伯母と、その家族は、日本人である、という誇りを持っていま(す)した。。。

また、ドイツ系アメリカ人とか、インド系アメリカ人といった人々は、、自分のルーツを求める旅を、先祖の故国にするかもしれません。

 

しかしながら、アレックス・ヘイリーさんなど、多くのアフリカ系の子孫にとっては事情は異なり、、先祖の意志で、アメリカ大陸に移動してきたわけではなかったでした。

1970年代後半にベストセラーになり、ドラマ化もされた、小説<ルーツ>アレックス・ヘイリーさんの自分の由来探しの場合、、西アフリカ、ガンビアまで遡れ、1767年に、誘拐されてしまったクンタ・キンテは、1970年代の、現地の人々の歴史では、<失踪した人>として口述が残っていたらしいです。。  そこまでの先祖の苦難の歴史が判明し、アレックス・ヘイリーさんはどんな心境だったでしょう。。。。。

 

アメリカで、南北戦争(Civil War1861~1865)が始まったころ。

アメリカ南部州では、<風と共に去りぬ>の世界、、プランテーション経営、綿花栽培の広大な農場で働く黒人奴隷のまめまめしい姿があったわけでした。。。

彼らは、働く<人>ではなく、労働力を提供する<(白人所有者にとっての)財産>でした。人身売買は、いつでも、所有者である白人の自由意志にゆだねられていて。

<風と共に去りぬ>の小説内では、南部のソフィストケイトされた白人社交社会がうるわしく優雅に描写されていますが、それは、奴隷の犠牲があったからこそ、成立できていたもの。


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それがどれだけ過酷なのかは、たとえば、以下の本。

ある奴隷少女に起こった出来事 (新潮文庫)(Amazonリンク)

<ある奴隷少女に起こった出来事 (ハリエット・アン・ジェイコブズ1813~1897)>

まるで物語のような印象の文体ですが、とてもよくまとまっていて。

まさか、こんなひどいことが現実にありえるんだろうか、、と、衝撃を受けるばかりでしたが、この本は、作者本人の実体験だそうです。アメリカではベストセラーになったそうです。

日本でも翻訳され、2013年に刊行されています。

ふつうの少女が体験する経験としてはあまりに過酷なので、、この本を読む方は、卒倒しないように、ご自分のハートの強さを確認しながらのほうがいいです。

いったい、人間はどこまで残酷なのか、私は、発熱しそうな気持ちになりました。。。

 

裕福な白人の<財産>、として、アフリカ系人間のいのちが非常に雑に!気まぐれに!扱われる。たとえば、黒人奴隷が生んだ子供は、その白人所有者の持ち物として、いつ、どんなふうに誰に売ってもいい、なんでした、、 目もあてられない、、、><)。。

そんな状況の中で、黒人霊歌、という、イエス様への信仰を歌いあげる、アフリカ系の人々の天性のリズム感を活かす音楽が生まれていったのでしょう。。 あまりにつらい暮らしの中でも、音楽と魂への祈りがあって、生き延びていけたのでしょう。。。。

 

最初の話に戻すと、、なので、まさしく!アフリカ系アメリカ人である!ジェシー・ノーマンが歌う黒人霊歌は、ものすごく!意味があることでした。。

 

ジェシー・ノーマン(1945~2019)の家系の、4代前の人は、この南北戦争にかかる頃を生きた人がいたことでしょう。。

アフリカ系奴隷、という人々がありふれていたのは そんなにむかしの話、というわけではないでした。

 

風と共に去りぬのヒロイン、スカーレット・オハラは、実在の人物ではないですが、それでも、この小説は、1860年代当時の、アメリカ南部の様子、風俗、考え方、北部についての考え、、いろんなことが温度をもって伝わってきます。

小説の中で、南北戦争で、北軍の進軍により、南軍の敗北が決定し、南の富裕な人々が所有してきた、巨大なプランテーションによる、ふんだんな豊かさがある世界(奴隷の犠牲の上に成り立っている!)が、そのシステムごと、破壊しつくされ、農園主の虚勢もはぎとられ、みじめな破れた衣服を着ただけの敗北者となりはて、、

その時、主人公である、スカーレット・オハラは、昔の美しい調和が永遠に損なわれたことを、たいへん嘆くけれど、それでも、<明日はまた日が昇るのだ>と、生きる強い意志で、再起を誓うところが、映画のラスト、クライマックスでした。

 

それでも、やはり、奴隷、という、誰かの徹底的な犠牲の上に成り立っている、一部の人々だけが豊かで幸福な世界、は、違うのではないか、です。

誰かがそばで、とことんいじめられていようが、それが奴隷の身分であるなら、それは、モノであるのだから、かまわなくていい、というのは、違うでしょう。

それが<一般常識>という世界、それは違うでしょう!

 

リンカーン大統領は、南部と北部が戦争(南北戦争、Civil War 英語では”市民戦争”)をしてでも、奴隷解放を現実化した、偉大な大統領です。その仕事は、どれだけたいへんな辛苦と犠牲をともなったことだろうか、です。

 

1992?年頃、東京、サントリーホールで舞台に現れたジェシー・ノーマンは、たいへん誇り高く、威厳をもって、黒人霊歌を歌っていました。。

彼女がおもうところ、アフリカ系として生まれたこと、家族の歴史、、黒人霊歌に対しても、個人的に、とてもおもうところがあるわけでしょう。

 

そのアフリカ系の人々の経験してきたあまりにも凄惨で過酷な経験、、生活とともにあった、イエス様への素朴で強烈な信仰、、、 あまりに過酷な生活だからこそ、かえって、エッジがたって、昇華、純化されていったものが確かにあって。

彼女の歌声には、彼女個人だけでなく、これら、さまざまなものも栄養として多重層に含まれていて、圧倒的な迫力がありました。 これら全部から、彼女はまるで、応援されているような感じがしました。それだけ、この道を誠実に努力を積み重ねて生きてこられたのでしょう。

 

ジェシー・ノーマンさんのコンサートは、、休憩をはさみ、前半と後半がありました。

プログラムが全部終わっても、東京の観客からの絶大な拍手は鳴りやまず、アンコールが何度も熱心に求められ、、ジェシーさんと観客との間にものすごく温かい気持ちよい高揚する空間ができていました。

それにこたえて、ジェシーさんは、、、

結局、コンサートをもう一巡するくらいの時間をかけて、たっぷりの熱量と精神性をもって、歌ってくださいました。。

彼女のソプラノの声は、野太い感じで、リリカルさはなく、コンサートの最初で、私はあまり好きな声ではないなあ、などと、おもいましたが、

黒人霊歌を聞いている間に、そんな感想はぶっとびましたね。。。

本当にすごい、圧巻でした。あの日、あの場所で、コンサート行けて幸せでした。

 

ジェシー・ノーマンさん、ありがとうございました!!!

あなたの精神性も、しっかりと受け取りました。