パリで出会った3人の若い男女。

親愛なるみなさま

今日も、あなたがいてくださることを感謝いたします。^^)

 

さて。今日は、数年以内の話。

この話はラブリーな話ではありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、ある時、一人で、パリにいました。セーヌ川沿いの道を、コンコルド広場方向に、てくてく歩いていました。 あと500mくらいでコンコルド広場までいくでしょう。。

地理さえわかれば、東京を歩くのとそう変わりない感じで歩けるなあ、などと思いつつ。

 

私の進行方向の左側に、ベンチがひとつあり、白人の25才くらいの女性2人と、男性一人が、何やら、ひそひそと会話して、私のほうをチラチラと見ていました。 私は、この人たちが視界に入りましたが、気にせず、通り過ぎていきました。

彼らから、50mほど離れた時、後ろから、彼らが私を追いかけてきて、、

あれよという間に、3人の健康そうな若者、女性2人と男性1人が、私を取り囲みました。

彼らは、何やら、小さなメモ帳のようなものを取り出して、<〇〇〇> 何か言いました。

きっと、アンケートをお願い、とか、何とか、、、しかし、

 

(この人たちが言っていることは)違う(そういう意味ではない)

 

と思いました。

この人たちの狙いは、彼らの言葉どおりではなくて、私のショルダーバッグに入った貴重品のほうだと感じました。

彼らは、メモのようなものを手に、近づいてきます。

 

私は、この人たちを静かに見渡し、腹の底から、きつい声で、きっぱりと、

 

ノー!ノー!ノー!(あなた方のしようとしていることは間違っている)と、何度も言いました。

 

彼らは、全然ひるみません。

それでも、

 

私は、静かにこの場にいて、彼らを見据えて、

ノー!ノー!、、、何度もきっぱり、お腹からしっかり言いました。

自分が、ミカエル大天使になったような、剛健な感じがしていました。背中から白い光がたっているような。。。私の目から光がでているような。。

 

この間、数分間、、、彼らは、じっと、私をにらんだような感じでいましたが、次に言うことにつまった? ちょっとした空白がおきた後、踵をかえし、もといた方向に、走り去りいなくなりました。。。

私は、また、すたすたと、歩いていきました。。。。。。

(これは、ガレ・ド・リヨン駅)

 

この人たちは何だったのか。。

私が帰国してから思うのは、想像でしかないですが、、

 

この人たちの精神は、何かあいまいな、明確な方向付けを持っていなかった感じがしました。

おそらく、仕事に就くことができない期間があり、手持ちのお金がちょっと、、、の時期だったのでは(誰しも、じんせい、こういう時もありえます!)、、、、それでも、彼らは、日常の基本的な衣食住は、まあまあ足りているように見えました。ちゃんと食べていられる人のそれでした。 それでも、何か、生きるに大切な何か、身体に背骨が入っていないような、存在への奇妙な物足りなさがありました。。。。。

 

この世を生きる時、私たちそれぞれが属している世界があります。その中には、あなたの大切にしている価値観もまぎれています。

誰かと一緒に生きる、だったり、誰かを守りたい、とか、とても大切な仕事をしている、とか、何か特定のことが好き、、、、価値観とその表現には、ありとあらゆるバリエーションがあります。

とにかく、その人により違いますが、他のことより、はるかに価値を置いていることが必ずあって、そのことが、自分、を生きる時の、下支えになっている、です。

 

たとえば、

・家族と生きる

・誰かとの愛情関係、

・友情関係、人との協力関係、コラボ。

・リーダーシップ。人を導く、

・趣味の楽しみ、

・仕事での達成、ハードルを越える、日常業務をこなす、テーマを生きる、、、

・知的楽しみ。自分の内側で世界を作り出す。

・自由と制限

・スピリチュアルな意識の拡大や精神的な成長、、、、

・事業、お金、財産などの所有、求める、実行、達成する、失敗する、チャレンジする、、その経験のすべて。

・チャレンジ、人生にかかる負荷と葛藤。その裏側にある祝福。

・その他

 

その人が重要に思う価値観は多岐にわたりますし、人生の季節によっても若干、異なるかもしれません。。それでも、価値観の優先順位が、みな、それぞれあるはずです。(その項目で、幸福もチャレンジも同等くらいの分量あるはずです。)

 

ご自分の価値観を知りたければ、自分の今の環境を見てみるとわかります。

他の人と比べて、自分が達成できていることが必ずあるはずです。また、希望があるのに、そうなっていない部分は、そうなる途中なのか、あるいは、それよりももっと重要な価値観(または経験)のほうが優先されているから、かもしれません。

 

私がバリで出会った若い男女3人は、自分自身の価値観に混乱しているように思われました。

彼らは、社会的な自分のアイデンティティ、経済がテーマとともに、スピリチュアルな飢餓、も味わっているように思われました。(この人たちの最善を神様にお願いしました。)

 

自分がどんなひとであるか、と、あなたの周囲を見渡して、あなたの価値観を知ろうとすることもいいことです。(友人とお話ししていると、あなたの価値観が他の人と違うことに気がつくかもしれません。^^)

また、

<自分は(どんなひと)である>、と、決めることも大事です。

誰かが、そう認めてくれるより先に。

 

どの人も、その人のエッセンスの部分があり、この世に生まれて達成したい何か、味わいたい何か、育みたい何か、チャレンジしたい(または、しなくてはならない)何か、表現したいギフト、人々に提供していきたい(提供していくべき)すばらしいこと、協力していくべきこと、時には、ちゃんとけんか(自己主張)することすら、必要なことかもしれません、、、、

地球は壮大な実験場ですね。

生きてみないと。

 

私たちみんな、何かバラエティギフトのようなものを持って生まれてきたに違いない、と、私は思っています。。。まるで、昔のリカちゃんハウスのような、夢と希望もたっぷり入っているの。。なんてね。^^)(昭和時代を生きた人でないと、リカちゃんはわからないかも?)

 

お付き合いくださりありがとうございました。^^)

みなさまにこころから愛をこめて。 ^^)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スピリチュアルな飢餓、、、このキーワードに、こころが動いた方は、私がしています、

スピリチュアルヒーリングをチェックしてください。^^) もしよかったら。

あなたのハイア―セルフさんとパーソナリティ部分の誤差を少なくし、生きる質を(段階的に)よくしていくことがテーマです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA