愛するみなさま
今日も、あなたのお役をありがとうございます!(*^^*)
ダルマ、というインドの言葉があります。日本語にすると、<人間が為すべき行動、正義、正しい行い>といった意味です。
約束をしたあとの義務、といったニュアンスも含みます。
今日はこの説明と、自由意志のお話をさせていただきます。
ダルマ、、、人間として為すべき行動、正義、正しい行い、、
これには、3つありそうです。
①個人的な自由裁量でどうにでもできるもの。
②ギブアンドテイク。法的な責務も含むもの。個人的な自由裁量からの変更はむつかしいもの。
③道徳的なもの。
ひとつずつ説明します。
①個人的な自由裁量でどうにでもできるもの。
友人と楽しい集まりを約束した。
しかし、当日、家族が急に体調をくずし、看病をしたいので、約束をキャンセルすることにした、、ありそうですね。。
この場合、友人の集まりに参加する、というダルマを決定したのはあなたですが、それより優先させるべきことが発生した(家族の看病をするというダルマ)ので、予定を変更した、ということでした。
この①のダルマは、個人的な自由裁量で、どうにでも変更可能な範疇のものです。
②ギブアンドテイク。法的な責務も含むもの。個人的な自由裁量からの変更は①より、むつかしいもの。
これは、たとえば、職業上の契約(ダルマ)。
伴侶に対するベーシックな部分で(結婚を維持させるダルマ)。
子供に対する養育、扶養の義務(ダルマ)、、
国家に対して、税金を払うのも義務(ダルマ)です。。。
お仕事を何をどうするから、いくらいただく、といった労働契約は、その期間は、基本的に他の件をさしおいても、為すすべき性質のものでした。
結婚生活では、夫婦として協力すべき土台は、②のダルマであり、伴侶に対して、どういう結婚生活を築きたいかを、話し合い決めていける自由裁量の部分は、①のダルマになります。
結婚生活を、いわゆる古来からの、夫は~、妻は~、子供を持つなら~、、としたいカップルもいるでしょうし。
あるいは、もっと、ラディカルにしたいカップルもいるでしょう。これらの部分では、自由裁量の協力をしやすい案件もあるでしょうが、むつかしい案件もありそうです。
とにかく、人は、多かれ少なかれ、②のダルマを抱えて生きています。
③道徳的なもの。
これは、形態ではなく、こころの姿勢についてのダルマをいいます。
たとえば、教師は、もし、前夜に夫婦で口論をして、翌朝になっても、こころの中に、いかりがくすぶっていたとしても、、職場である、小学校の教室に、そのけんかの内容を持ち込むのはよろしくありません。
生徒たちを前にしたら、表面を冷静にとりつくろう、といった対応になるでしょう、これは、何の関係もない生徒たちに対して、必要なことでした。
また、仕事上、誰かに対して、自分の意見を言わないと、今後、もしかしたら、たいへんなことになるかもしれない、と、気がつき、それを言おうとすることも、、自分のダルマに含まれるかもしれません。(この場合、相手の反応は、相手の人生なので、その内容にまで責任をもたなくていいのだと思います!)
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また、個人的なくったく、心配事、不機嫌、いらだちを、それをストレートに出していい場所は、限られそうです。以下必要な方へ。。
※こころのあれこれ、、特にいかりを、体内から排出する方法
<緊急の場合!すぐに!>
・車の中や、エレベーターの中で、ひとりの時、あなたのハートのあたりをなでながら、言いたいことを、そのまま叫んでください! あるいは、<あ゛あ゛あ゛>とか、<ヴヴヴ、、>といった、意味のない音声を発するのもいいです!
<くすぶっている感情を排出するアートセラピー>
・画用紙に、好きな色のクレヨンで、ぐりぐり、こころのままに、絵を描いてください。いかりのたまっている人は、黒いクレヨンで、ぐりぐりぬりたてているうちに、だんだん、いかりが排出されてくる例、多いです。 この用紙は静かに、感謝してバイバイ。。(アートヒーリング)
この場合、手になじみ、ぐりぐり描けるクレヨンが、材質の性質上、いいかもしれません。
<身体から、安全に過剰なアドレナリンを排出する方法>
その時、ぴんとくる音楽をかけながら、こころのままに、身体を動かしてください。身体を、思いつくまま、でたらめに動かすことで、ストレスが流れていくでしょう。。
<もっと穏やかに、いかりの感情を排出する方法>
・アロマ(100%精油)のグレープフルーツを、一滴、ティッシュにつけて、その香りをかいで、そのあと、はー、、と、おおきな溜息をついてください。その溜息を出す時に、体内のいかりを排出する、と、決めてそうしてください。 (または、生のグレープフルーツの果実の香りをかいで、同様にしてください。)いかりは減ります。
個人のダルマと自由意思。
上記、①~③のダルマがあり。
人間は、多かれ少なかれ、これらのダルマを抱えて生きています。
ある人は、公の役、私的の役が重責のため、②のダルマが強調されているかもしれないし、ある人は、①のダルマのほうが多いかもしれない。
その人の事情状況により、①②③のダルマの分量はそれぞれ違うと思います。
(※注意 これらは、いいわるい、といった判断をするのではないです!私は、捉え方として、分類しています。 あなたのじんせいはそのままいいものです! ^^)念のため。
また、もし、現在、病気をしている、とか、リハビリ中といった人は、病気の期間を通じて、何らか学ばれているとか、何らか味わうことがある、といったダルマ(生きるべき役)を生きているのでしょう。。 その時その事情状況からしかわからないことがありますね。
時には、この、ダルマの役割と、事情状況からくる<~すべき>が、強い場合、個人的な意思、個人裁量の部分とのギクシャクがおき、チャレンジに感じるようになったり等は、よくあります。。
とにかく、様々な事情状況の中から、その時、どんなふうにするのが、一番最善なのかを、私たちみんなが、考慮しながら生きているでしょう。。
同じ場所に生きていても、違う捉え方があるのですから。話しあっても合わない部分は、<そういうこともある>なのでしょう。
<人間として、今この世を生きている>こと自体が、人間として果たすダルマであり。 よいことでした。(*^^*) いろんなことがありますけれど。。。
あなたの最善をお祈りいたします。
あなたに愛をこめて。
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