・重めの病気になったとき。
「それで私はこれからどう生きるの?」に圧倒的に直面する時だ。
私って、どんな人?
これからどうしていきたいの?
自分の人生はこのままずっと続く、、という漠然とした感覚ではなく、「いつか明確な完了の時が来るわたし」に気がつく時かもしれない。
その上で、
私はどう生きるのか?どう生きたいのか?
に直面する時だと思う。
・その症状や治療方法についてよくわかっている医者が、その件についてよくわかっていない患者を、生徒のように一方的に「救う」というのではないと思う。
・病気になった=まるで天災をこうむったかのような感覚で「意味不明」として恐れる時期があるかもしれない、、思い切りその世界に巻き込まれるのはまず自然な反応。
その後、その件についてわけがわかってくるかもしれない。
何かしら、その人の人生にとって意味があるものを。
・医者と患者のコラボがうまくいってはじめて、意図している治療がうまくいくのだろう。
・患者側は、自分の健康回復のためにしていこうとすることがあるだろう。うまくいっても、現状維持でも、そうでなくても、そこに、「私はどう生きていきたい」の何かエッセンスが必ず含まれていてほしい。主体性を持てるところがありますように。 その人の生きる尊厳のために。生きる意味のために。
・自分の美しい容姿を日々気にして、健康で元気でサクサク動けていた時と比べ、「私はどう生きていきたい」に、まさか、こんなに圧倒的に突き付けられた感覚はもたないと思う。
となると、何か重要なことをわかろうとしているのかもしれない。
そこに希望もある。

