自死した家族を持つ方への心からのアドバイス。

親愛なる皆様

今日も、あなたがいてくださることを感謝いたします!

今日2024年12/31の記事は、一部の条件の方あての内容です。

該当しない方にとつては、とてもこころに負担がかかる内容なので、読まずにスルーされるほうがいいかもしれません。<(_ _)>

・自死した家族を持つ方あてのメッセージ。

残された側(家族、友人、教師、、)が、「自分が~していたら(あるいは、~しなかったなら)、この子を助けられたんじゃないか、、」などと気持ちをぐるぐるさせてくるしむのはあまりにかわいそうです。><)。。

いや。その人たちのせいではない。

どうか自分をせめるのはやめてほしい。><)。。

あなただって、生身の大切なひとりの人だから。

人間ができること、できないこと、あります。

その時のタイミングで、人の助けをすり抜けるようにして、自分でしんでしまうような人がいます。もう、そういう時もある、です。><)。

 

「自分でしぬ」を絶対するっていうふうに、前世から決めていた人すらいるんです。本人の勢いを止められないです。

ひとつの実例を説明します。

 

ある青年(17)が、学校での成績に伸び悩んでいました。

「このままだと進級できないかも(だから~したらいいと思う)」、と教師から、その青年の母親に電話がありました。

その連絡が来て、母親から内容を伝えられた直後、その青年は極端なパニックを起こし、2日後に、薬を飲み過ぎて自分で死んでしまった。。

たったさっきまで生きて動いていたはずの子供の死に。

残された両親は茫然となった。

母親のあまりの悲嘆、パニックは、周囲が見ていられないくらいだった。何か月が過ぎても。。

「あの子がそこまで自分の成績のことを気にしていたら、私は学校の先生が言ってきたことを伝えなかったら、あの子は今でも生きていたのか?」 

「あの子が学校の勉強が合わなかったなら、学校をむりにでも辞めさせていたら、あの子は生きていたのか?」

 

この件。

私からはこういう事情だったのがわかりました。

この青年がこんなむりやりに自分をころしてしまったのは、今回の人生の学校の進級うんぬんは、ただのきっかけにすぎなかった。

この人の死の理由は、前世にありました。ちょっと長い話にお付き合いください。

 

幕末~明治初期の頃に、260年続いた江戸幕府(徳川将軍家を筆頭とした武家による政治システムの国)が瓦解していく時。

日本の南、長州(今の山口県)+薩摩(今の鹿児島県)のほうに会わられた新しい考えを持つ人々が、(徳川幕府ではなく!)天皇家を上に掲げて、そこに集まる有志の臣下(官軍)が国を治める、という政治システムに変更していこうと始めた。革命ですね。

そして、幕府軍と、官軍との間に、激しい戦いが各地で行われました。

幕府軍は、実戦経験がない人たちばかり。先祖は戦争経験がある武士ですが、平和が260年続いた後の武士にはその皮膚感は残っていません。。

 

一方、官軍の中には、長州人のように、イギリスと戦争をした経験を持っている人たちもあったので、心がけがまず違いました。

官軍は、西洋式軍隊の装備(帽子、動きやすい洋服、動きやすい軍靴)、また、軍隊としての整列、指揮官の命令によりさっと動ける、、 がいきわたっていました。

 

1868年8月会津戦争が起きました。これについては、ご存じないので知りたい方はwikiで調べてください。「会津戦争 wiki」)

 

会津は、徳川幕府を上にいただき、その臣下となる殿様(会津公)を守り、武士農民が一丸となって精神的規律、統率が取れている良い藩(はん。「県」のようなある程度の自治区域。)でした。

 

1868年8月。会津に進軍してきた官軍により、、 会津藩士の人たちは、(幕府支配による社会システムと)会津藩を守るため、武器を取り、戦わなくてはならなくなりました。

白虎隊という、16、17才の青年で構成された藩士のグループがいて。

彼らも戦争に駆り出され、、官軍と銃撃戦をして、白虎隊の青年で戦士した人たちもいます。

その後、飯盛山という場所から見て、会津の城下町が赤々と燃えているのを見て、、城にたどり着きまだ敵と戦うか、それとも?

ここですでに2日間不休で戦っていた青年たちは疲労困憊だったでしょう、、

もし、城に戻る途中で、敵の手に落ちてしまったら、殿様にも先祖、家族にも申し訳ないから、ここで潔く自決して、武士として尊厳ある最期を迎えることにしよう、ということになり、

彼らはそれぞれ、自分の身体に刀を突きたてて、いのちを落としていきました。。。 ><)。。 失血死。

 

こんな16、17の青年たちが「自分の武士としての尊厳のために自ら死ぬことにしよう」、とは、現代人にはこの迫力、わからないです。

今は、「戦争で捕虜になった人たちの人権を守る」という、第一次世界大戦後にできた条約があって、、捕虜に対する基本的安全は守られています。 すいません、こわい話続けます。


※捕虜の保護に不可欠なジュネーブ諸条約第三条約第13条(要約)

彼らの身体を、意味なく切断しない、彼らを使い科学的(医学的)実験をしない、必要な食事を与えるとか、性的暴力や侮蔑の対象にしないこと、、 )


しかし、1868年8月のこの時代では、もし、自分が敵の手におちたら、どれだけひどい目に合わされるかわからない、、です。それについては、合法とか非合法、といった考え方がまずありません。

日本国同胞なのだから、、という考えは通用しません。他の藩の人間は、感覚的に”外国人”です。

なので、「自分という存在の尊厳を守る(生身の自分が生きられる形ではないかもしれなくても、自分の名前、備わっている尊厳のほうを守るためにはなるかもしれない。 

自分という存在の価値、尊厳をこそ守れたなら、たとえ自分が死んでも、家族は「止むなし(致し方なかった)。よくがんばった」、と思ってくれるだろう。)」ために、最悪を避けるために、自分で自分をころす、というのは「善」という考え方ありました。

 

だから、第一次世界大戦後、1929年に、戦争捕虜にも人権があり、その人たちの待遇について、人間が生きられる内容にしていくべし、は、良かったんです。。


 

話をこの記事の最初に戻すと、、、その自分で死んでしまった青年の前世は、この会津で、白虎隊で自決した若い青年でした。

この時、その青年は、目上の人の決めた「自分たちそれぞれで死にましょう!」を聞いた時、

とっさに「僕は死にたくない!><)。。」 と、人間らしい感情が、がーっとでてきた人です、、  それでも、周りの青年たちが、刀を自分の身体に突き立てて死んでいくのを見て、、自分も致し方ないと勢いで死んでいった、、

この人は真面目な性格で、一瞬、「死にたくない」と思ってしまった自分を、死ぬ寸前にとてつもなく後悔し、「次こそは絶対にうまく死ぬんだ!」

と決心して亡くなっています。><)。。

 

そして、生まれ変わったのが、今現在の青年としてでした。><)。。

この人の人生は難しかったと思います、、、

白虎隊で亡くなった年齢の時に、自分も「今度こそはちゃんと自分で死ぬんだ」というのが、まるで魂さんからの宿題のようにセットしてきていて、、

その年齢になったときに、その体内にあったアラームが鳴り響くようにして、 「僕は死ぬ」→ その通り、死んでしまった。。

この人に、「その成績では進級できないかも、、」と、伝えてきた教師の言葉がトリガーになったのは、「進級する」という言葉は、

「18才になる未来」をほのめかしているけれど、、しかし、彼は、17才で亡くなる予定で最初から決めて生きてきたから。。

><)。

なので、、

自分でいきなりしんでしまった家族がいる方、、

その人がこの理由でしんでしまったのでは、、と、周りから思われる表面的な理由より、もっと過去まで遡る強い理由があって、

それで、そこまで起きてしまった可能性大ですよ ><)。。

 

こういう時、、

もう、家族も近くにいた人たちも嘆いても嘆いてもそれ以上何もしようがないのですが、、、

ひとつ言えることは、、

 

その「自分で亡くなる」と決めた年齢以前の時間軸で、家族と幸せなやり取りができたとか、本人が楽しそうだった瞬間があった、、

そういう良い思い出もあるなら、、その人の人生は意味があった、良かった、という捉え方をしていいと思います。

 

その魂さんの「宿題」のようにしてしまったことを、その「自分で亡くなる」を終えてしまったら、それは「完了」になりますから。。

その人は次に生まれ変わる時には、もっといのちの大切さをわかっている人としてやってくるでしょう。

まとめ。

自分でしんでしまった家族がいる方へ。

・ あなたのせいじゃない。それはどうしようも変えられないことであった。><)。

・ その子の魂さんは、その時の肉体はもうもっていないけれど、その子の魂さんは向こうの世界で生きているから、、 いつか必ず会える。 会える時、お互いにもっと良い状態でありますように!

再会できるその時まで、残された家族は自分の人生をより良く生きて行って、「自分の人生これでよかった!」と思えてから、

その子に再会できますように。 その時には、その子がその時どうしてそんなことをしなければならなかったのかの事情の全容がわかりますから。 

あなたに愛をこめて。

人間が生きているということは、いたいことがある。

でも、そればかりじゃない。希望もあるんだ。