私たちが人の温かみを求める理由があって。

親愛なる皆様

今日もあなたがいてくださることを感謝いたします。

今日は「私たちが人の温かみを求める理由があって。」

 

私たちが生まれて成長し、いつか、実家を離れたら。(実家に居続けるお役の人もいます。)

ご縁があるなら誰かとカップルになって、家族は1人増え、メンバーは2人になる。

さらにご縁があるなら、子供を産み育て、家族は1、2、、人増えていき、家族メンバーは3人以上になる。

 

私たちは、誰かが産んで育てないと、この世の人間は増えない!

当たり前のことだけど、一人の人間が産まれ育っていくまでに、両親側(または別の形の保護者)が辛抱強くその子に降り注ぐ愛とか、日常のケア、衣食住のすべて、毎日の食事の支度、洗濯だけでも、お金、、万事、手間がかかる。

人間は促成栽培できないのだ。

 

子供たちが大きくなっていくとき、いつか、親を見送っていかなければならない日がくることを知っている。これは順繰りだ。悠久の昔から、そうして、長く生きていた人は新しい人に、いのちのバトンを手渡してきているのだから。

いつかおわりがあるからこそ、いのちは余計に愛おしい。

 

お一人様の人生を選ぶ人もいる。

その人の選択はそのままそれで良いものだ。

どの人の人生もユニークで大切なものです。

 

人間が一人で生まれて。

いつか一人で肉体から離れて、ここから去る。

その時、「一人で」という冷厳さは、人間がどのみち孤独な存在であることを免れないという意味なんでしょう。

亡くなる時に、「私、~に移動しましたから!新しい連絡先は~ですよ!」なんて言っていなくなる人はいません。

だからこそ、人は、他の人の温かみが欲しいと思うし、交流したいと思う。

また、誰か愛を注ぐ対象が欲しいと思うんでしょう。

 

この世はいろいろあるかもしれないけれど、

同時に、この世は温かみがある場所でもあるよ。

あなたの温かさを今日もありがとうございます。^^)