ベートーベンさんの第九 歓喜の歌。

愛するみなさま

いつもみんなのヒーリングルームに来てくださりありがとうございます!
(^-^)
今日もあなたのお役をしてくださり本当にありがとうございます!

今日は、ベートーベンさんの第九のお話を。。
・・・・
日本では、年末は、ベートーベンの第九、と、決まっているような
ところがあります。 日本人は、第九、大好きなんでしょうね!

有名なのは、第4楽章ですね。

オーケストラの音楽の途中で、いきなり、パスの男性が、朗々と、
”O Freunde, nicht diese Töne!
sondern laßt uns angenehmere anstimmen,
und freudenvollere.”

(おお友よ、このような音ではない!
そうではなく、もっと楽しく
もっと喜びに満ちたものを!)

と、スタートするところは、結構、鳥肌がたちませんか?

オーケストラが第1楽章から第4楽章まで積み上げてきた音楽の流れを、
あの第一声、”O Freunde ” で、もしかしたら、全部ブチ壊すかもしれない
!!!
あの一声で、音楽の流れを変える役目もありますから!
バスのソロ歌手は、けっこう、プレッシャーがあるのでは!? 
なんて、いつも思います。

いや、感動的なんです、ドラマチックですし! (^-^)

私の知人で音大卒の人がいて。彼が、第九のバスのソロを、演奏会で
歌い始めた時、よりによって!この大切な部分で!声が裏返ってしまい!


ああああ、、気の毒に、、、、、、、((+_+))と、
彼のこころを思うと、卒倒しそうになりました。。。。

いや!人生に参加していたら、いろいろあるもんです!
いくら練習でうまくいっていても、本番とちったら、、
そんなこともあります!
それも人生です!

えええ、脱線を戻します。
第九の歌詞でした!

und der Cherub steht vor Gott!
(ケルビムは神の御前に立つ)
という一文があります。

私、この部分の音楽&言葉は、映像として感じます。(以下)

私のイメージでは、とてつもなく大きな男性の神様が、この世ではなく、
頭上高く、ずっとずっと上のほうにいて、大きな椅子に鎮座しているような
イメージです。

その大きな天の神様の前に、小さな身体で、でも、ものすごく
きっぱりした意志を持っているケルビム天使が、前にでる!

その、大きな神様は、小さなケルビム天使を見下ろし、
とても威圧感がある。 ケルビムが正しくあるのか? 
正すような、身のきしむような厳しさを持っているような感じ。

で、小さなケルビム天使は、(びびってもおかしくない状況なんだけど)、
しっかりと、自分の存り方を神様に問う、といった非常に決然とした
姿で、神の前に一歩ずつでていくんです! 
それが感動的なんです!


私にはそこまで映像がでてきます。
und der Cherub steht vor Gott!
(ケルビムは、神の御前に立つ!)

しかしながら。。。
第九の音楽のキモは、私、第4楽章ではなく、第3楽章だと思います。
あの、静かな第3楽章は、瞑想に例えると、無我の境地、
ホ オポノポノで言うと、ゼロの部分を、温かい情緒的な音で
表現しているように感じています。そういうエネルギーです。

聴衆は、何か深いところで、自分の本質に回帰できるような
静かな気持ちよさがあり、納得するはずです!

だからこそ!、ラストのドラマチックな、(かなり大げさな?)合唱が
生きるのでしょう。

ベートーベンさんは、激しい性格の人だった。
彼は生涯独身。

たったひとりのおいっ子に尋常でなく肩入れして、彼の将来を思いやりすぎて、
≪おじさんの僕への気持ちは重すぎる!もう僕にかまわないでくれ!≫等、きつく言われてますし。。
(うっ、痛い!><)

また、何の件が理由か知りませんが、召使いの女性の背中に、
生卵を投げつけたこともあったそうで。。。。
(ルードヴィッヒ!すげえええ。。。笑。)

また、引っ越し魔ですよね!
ウィーン在住30年間の間に、70回以上の引っ越し。。
半年でもう次に移ったり。。。

また、、

ハイリゲンシュタットの遺書は涙がでます。

音楽家としては、致命的な≪耳が聞こえなくなる≫。。
当初、どんなに焦っただろうか、と胸が痛みます。
将来に絶望して、自殺しようとして?書いたのが、今残っている、
ハイリゲンシュタットの遺書。

でも、彼は結局のところ、生き残ることを選択する。。

耳の聞こえなくなった現実を受け入れ、生きることを選択した
ベートーベンさんが、第九を作曲して。。。

他の人が指揮して、初演が、感動的な演奏を終了したとき。。

観客席の一番前に座っていたべートーベンさんの、背面にいる、
たくさんの観客の歓声が、彼にだけは聞こえなかった! 
そんな逸話がありました。

葛藤を通して、彼なりに見つけた”答え”を形にしたのが、第九なのでは。。

だから、時代を超えて、世界中の人々をひきつけてやまないのでしょう!
(^-^)
ベートーベンさん(Beethoven ドイツ語だと、ベートーフェンさん、
”ト”にアクセント。)、ありがとうございます!
Wir lieben dich !  Danke !(^-^)
We love you ! Thank you !

今日もおつきあいくださりありがとうございます(^-^)
・・・・・・・
なんで第九かというと、私は、合唱団に入り、今冬に第九を歌うんです!
今練習中。。 ^^ははは
・・・・・・・

罪悪感についてのセッションお知らせは次回です。
遅くなりすみません!<(_ _)>

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