親愛なるみなさま
今日もあなたがいてくださることを感謝します!^^)
前回記事は、外で働きはじめた方、特に、デリケートなエネルギーを持っていて、ご自分のスペースを守りたい方に対して書かせていただきました。
<雑談力>、という妙な?言葉があるくらいですから、職場の人々と、おしゃべりを通して、コミニュケーションをある程度とれるほうがいいのでしょうけれど、、
その職場でのスタッフどうしのおしゃべり、を、<とても得意><得意><ふつう><もうちょっと><むり!かんべんして>、このどれに属していても、それは自然なことです。
^^;)時間経過とともに、慣れてくるところもあるでしょうが、いっこうにそうならない部分もあるのは、そのあたりに、個性があるからでしょう。
できるはんちゅうで、対人への<鈍感力>も適度に発揮しながら、ぼちぼちいくのがいいのかな、などと、とらえています。 ^^)
ひとりぼっちでいるのは、何かいけないの? う?
少し前からある話ですが。。
今時の大学生の人たち?で、、、
<ひとりでランチをとっているところを見られると<(ひとり)ぼっち>だとわかり、恥ずかしいから、それよりは、トイレの個室にこもって食事をするほうがまし>などという人たちがいることを知り、驚きました。
ううむ。。。。。。。
蛭子能収さんが、本で、<自分には友達はいない>、<誰かと仲良くしたいと思えない時、むりに仲良くしようとする必要はないでしょう>、といったニュアンスのことを書いていました。。蛭子さんにとっては家族だけが信頼できる人たち、とのことだそうで。
<人と仲良くしなければ>、と、無理しているような人にとっては、蛭子さんの<友達はいない(それでも特に問題はないですけれど、何か?)>宣言って、けっこう衝撃あるのでは、です。 私は少なくとも驚きました。
あなたの考えもあるでしょう。。
私がおもうに。。
人から、<ひとりぼっち>と思われたところで、はっきりいって、そう、たいしたことではないのでは、です。 (たいへんなことだと思ってている人がもしいましたら、スンマセン!)
それがたいへんなこと、と、思わせられている、漠然とした何かがあるから、そんなふうに感じているのですよね。。
トイレの個室でひとりで食事する大学生のひとがいるなら、、
その時は、たまたま、一緒に食事をする人がいなかった、のでしょう。
それが数日だけでなく、たとえば、一年間ずっとそうだったとしても。。
私のおすすめは、ひとりであろうと、それに関わらず、できれば、食堂で?テーブルにひとりで座り、ランチを味わいつつ、その時興味がある本を読むとか、あたりにいる人たちの人間観察をしたり、哲学的なことを考えたり、何とでもしていたらいいのではないかと。。
そんなふうに食堂でひとりで過ごしているうちに、もしかしたら、視線が合うだれか、、食堂で働く明るい太ったおばちゃんかもしれないですし、あるいは、やはり対人関係に、若干の苦手感がある人と出会うかもしれません、、、、知り合いになってくるひとが現れてくるでしょう。
その人と話してみて、苦手感の共感ポイントが同じようなところにあるのでは、と、わかった瞬間に、その悩みは溶けていきます。
ふふふ、と、共通の苦手感で笑えるなら、世界は広がります。
私がおもうに(食堂のおばちゃんの心境と同じく)、、、ご飯はなるたけ温かくおいしく食べていただきたいですもの。^^)
このブログに来てくださるあなた。
このブログにきてくださる方は、私が知っている限り、さまざまな年齢、家庭環境、背景、興味の方向をもっています。
みなさん、それぞれご自分でいていいんです。 ^^)
ご自分の味わいを大切にしてください。 これはとっても大事なポイントです。
ご自分を大切にできたら、むしろ、他の人のその人らしさも尊重できるのでは、です。。
^^)
みなさまに愛をこめて。 ^^)
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