昔は貴重だったバター・イーターの話。

今日もあなたがいてくださることを感謝いたします。

今日は全然関係ない話「昔は貴重だったバター・イーターの話」をさせてください。(お時間ある方だけどうぞ^^)♡)

 

まずは時代背景から。ここは固い話で失礼します。

徳川幕府260年間の間、他国に対しては、「鎖国」(私は外国とはつきあいませんので私のところには絶対に来ないでください!)政策をしていたため、欧米ではその間に進んでいた先端技術、革新的な武器、造船技術、、から、日本は取り残されていました。 (もっとも、長崎の出島、という一箇所だけは、オランダ人、中国人との貿易の窓口になっていました。ここだけ。)

 

その後、幕末(1860年代)になり、このまま旧態依然の徳川幕府が政権を担っていては、外国の植民地にされてしまいかねない、、という危機感を持った人たちが日本の南のほうに現れて、、坂本龍馬さんをはじめ、西郷隆盛さん、木戸孝允さん、高杉晋作さん、、、といった名前が歴史に残っている人々の活躍により、、、、

(あれこれ省略)

幕府側は徳川の最後の将軍、徳川慶喜公が、政権を朝廷(天皇陛下)に返す、

という大政奉還をして。 徳川時代は終わり、明治政府が政権を担う時代が来ました。

 

明治時代初期から、明治政府は、外国人の各種専門家を招き、西洋の先端技術を熱心に導入しはじめました。

また、ヨーロッパの先進国やアメリカに日本人留学生を送り、その国の国家運営のシステムや、法律、ビジネスシステム、産業を熱心に研究し始めました。

国を強くするため。日本が世界の中でも、国力を増し、経済的にもやっていけるように。産業を興すこと。

幕末までの間に外国から借りた莫大な借金をちゃんと返して、植民地にされないように!もありました。 (そして、明治政府は外国に借りたお金を返していったんです!)

身分制度を無くし!

(藩主だった人たちについては、名誉的な名称は残し。)

武士階級だった人たちの階級、禄高(収入)を取り上げて。(みんな失業!)明治政府は、元・武士たちにも現金の数字が書いてある税金の請求書を送りました!

そんな失業している時に!?どうやって生きていく!?

もちろん、武士階級だった人たちのパニック、いかりは想像するに難くありません。

また、農民している人たちは、江戸時代は、収穫した米を藩主に収める(年貢米。出来高の60パーセントとか?を藩主に渡す。自分たちはそれ以外の収穫で食べ繋ぐ。)ことでまあまあ生きていられましたが、明治時代になると、「その米をどこかに売って、現金にしてから、税金を納付しなさい」、という驚異のシステムになりました。

しかし、米がたくさん取れすぎてしまった年は、業者から買いたたかれ、思うような金額にまでならなかったりして。。今の政府はひどい!><)。と思うように。。

ということで、明治政府は、江戸時代システムめちゃくちゃに壊し。みんな大混乱。。。あちこちで暴動。一時カオス。。

 

さあ、ここから柔らかい話にします。^^)

 

明治時代の初期に、政府が熱心に導入していた外国ものの副産物として、外国人が自国の「食べ物」を日本でも食べたいと。当然の主張をしたことから。 日本のごく一部の人たちも、外国の食べ物について知ることになりました。

それまで、江戸時代の人たちは、バターを食べたことがありません!パン、も知りません!

明治時代初期の、外国人とのやりとりがあるハイソな一部の人たちは、初めてパン、バターを見ました。 この世代の人たちが、日本国内で初めて、バターに遭遇した人たちです!^^)/

「バタ臭い」ということばがあります。

バターは臭い。

要するに、生まれて初めてバターを口にした明治時代の人たちにとって、バターは、思いもよらない匂いがした、口の中におそるおそる入れてみたら、気持ちがわるくなるような味! がまんして飲み込んだかもしれない、、あるいは吐き出したかもしれない、、><)。。

今まで感じたことのない、外国の食べ物!!!

そこから転じて、「バタ臭い」という言葉は、何かについての自分の感想を表現する時、(それは外国的な馴染みのない感じで自分好みではないわね。)といったニュアンスが含む言葉になりました。

 

それがおもしろいことに、時代が下り、大正時代、昭和初期になりますと。

やはり、外国人とのやり取りがあるハイソな一部の人々にとっては。

「バターは馴染みがあるもの」、にだんだんと変化していきます。

 

また、大正時代、昭和時代の初期、一般庶民の家でも、、小麦粉(メリケン粉!アメリカの粉!の意味。)を使い、貴重なニワトリの卵も入れて、、生地を作り、ホットケーキを作る人たちがでてきます! わぁお!

なんて素敵な光景でしょう!

家でお母さんがホットケーキを作ってくれる!^^)/

お母さんと子供たちの、ホットケーキに対するキラキラ感は半端なかったでしょうね!

そんなわけで、大正時代の人たちでもホットケーキ食べていた人たちがいます!^^)

 

 

さらに時代が下り。昭和50年。

私の家では、朝、焼いた食パンにマーガリンをつけて食べる時がありました。

食パンはスライスされていて。2枚焼きのトースターで焼きます。

マーガリンは良い風味がしました。

当時はまだ、一般庶民の間に、バター、が満足には流通していません。

バター、は、直径7cm厚み2.5cmくらいのカンに入っていて。貴重品でした。

私が初めて、バターに遭遇し、このカンを母に開けてもらった時。

乳白色のバターが、カンの丸い形の通り入っていて。それは単に固まっているので、どうやって引き出したらいいかわからず、、上からスプーンでひっかいて、ほんのわずか取り出せたくらいでした。じれったさこの上ありません。

「バターは面倒くさい。もうすでに柔らかくなっていて扱いやすいマーガリンのほうがましだわ」、、などと、当時少女の私は思いました。

また、昭和50年時期には、砂糖、もまだ貴重品でした。なので、砂糖はお歳暮に人様に差し上げるものでした!

 

今現在2024年、パターはスーパーで簡単に買えるものになっています。

明治初期の特定の少数の人だけが食べれて、その人たちが、「バタ臭い」と顔をしかめた時代から考えると、今の日本人がどれだけバター慣れしているか、面白いですね。^^)

 

今、目の前にある食材は、この世の誰かが、天候を気にかけ、地道な作業をして作り出してくれたもの。

バターは牛さんが作り出してくれるミルクからできていますよね。

 

江戸時代。江戸の長屋に住む普通の人の暮らしには。

蛇口をひねったら水がでるなんていうシステムはないですから。

水を飲むためには、井戸まで行き、桶(おけ)で水を汲んで、それを家まで運び、

家の入口に入ったところにある大きな水がめの中に、水を入れておく。家から井戸まで、何度も往復して水を運ばないと、です。

その水がある間は、そこから水を汲んで、飲むことができます。この水は煮炊きにも使いますし、顔を洗うためにも使います。家の水がめの中に水を切らしては生きていけないです。

 

煮炊きをするには、かまどに火をおこし、その火の番をしながらです。

火を燃やしつづけるためには、薪(たきぎ)が必要です。薪も用意しなくてはです。

かまどの中に、薪が燃えた後の灰がでます。それも掃除しなくては、です。

灰はとっておいて。

 

洗濯するには、井戸端にいって、他のおかみさん方とおしゃべりしながら、井戸端で水をいちいちくみ上げて、たらいの中に水を入れます。 かまどからとっておいた灰を、洗濯ものにつけて、それを洗濯洗剤替わりにして洗濯します。

きれいになった洗濯物から、水を絞ります。それをまたかついで、家に戻ります。

洗濯はとてもたいへんなので、洗濯を控えるよう、何日も同じ着物を着ます。現代人から見るとあまり清潔ではないかもしれない。 しかし、そもそも、「清潔にする必要性」という概念がまだありません。

電気ありません。ガスありません。下水道ありません。スマホありません。LINEありません。日が暮れたらろうそくの光か、早く寝ましょう。^^)

 

、、と書きますと、、何だかんだいっても、今の現代人は、江戸時代の人が驚くような便利な暮らしを当たり前としてしています。^^)ありがたいでした。

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山口県の方(昔の長州藩)が、今でも、高杉晋作さんのことを、高杉晋作先生、と、敬愛をこめてお呼びしていると聞きました。そういう、郷土愛、活躍した先人を敬愛する気持ちっていいなあと思いました。