大切な人と、意思疎通ができないうちに、その人がこの世を離れることになってしまい呆然としている方に。続き。
私たちは、その亡くなった大切な方に対して、後々までも、
「私が、あの時、この人に対して、何かをできていたら、あるいは、何か余計なことをしなかったら、その人はまだ元気で生きていてくれたのではないか?」
「他の誰かが、この人に対して、何かをできていたら、あるいは、そんなことをしないでくれていたら、その人はまだ元気で生きていてくれたのではないか?」
という思いがこみあげてくる時、あります。
これは結構ありふれて聞きます。
大切な人を見送ったことが7年前でも、まるで昨日見送ったかのように、後悔を続けている人もいました。
いやいや。
すべておわって、その人を見送った後になってみて。
亡くなった後から、それまでの経過を振り返れるから、
わかったような気持ちになって、
「実は、3か月前には、こうしてあげたらよかったと思う」
こんなふうな気持ちがでてくるのでしょう。
その渦中にある時には、何かできることをしていたはずなんです。
、、、だのに、まるで、何かをみすごして、してあげなかった、かのような
ざいあくかん(または、極端ないかり、ぱにっく、とまらない悲しみ)に転化させて感じてしまう人も、結構います。。><)。
こんな時は、愛情深い優しいこの方が実にかわいそうです。。><)。。。
もし、なくなる3か月前、大切な人に関わっているすべての人々を俯瞰して見たら、もっとよくわかることがあったとしても、、そこまで見えるのは神様であって。私たちは、(自分ができる部分だけの!)生身の努力を続けられるだけだ。
その時、その時の(できる範疇の!!!)最善だと思うことをしてきたら、そこまでで、「実によくがんばった!」、ですよ。
というのは、
その人のいきる力は、その人のものだからです。
その人の生きる力、に対して、
たすけようという助力まではできても、
その人本体に成り代わることはできません。
また、その亡くなった人だって。
ご自分のめぐりあわせがあります。
そこは自分で引き受けるしかないです。
その人の。
いのちの時間は、それで、ちょうどよかったのでしょう。
その人の魂さんのプランがあり、寿命については、他の人からは何ともいえません。
私たちは、他の人に対して、わかることも、わからないこともある、です。
私から。
向こうに帰った方が良く言いますことをざっくりとまとめますと、こういうことが多いです。
あなたとこの世で出会い(すごいご縁。)
いろいろあった、
素晴らしいやり取りもできた。
万感をこめて
一緒に生きてくれて
本当にありがとう。