必要な方へ②。 大切な人と、意思疎通ができないうちに、その人がこの世を離れることになってしまい呆然としている方。

大切な人と、意思疎通ができないうちに、その人がこの世を離れることになってしまい呆然としている方に。続き。

 

私たちは、その亡くなった大切な方に対して、後々までも、

「私が、あの時、この人に対して、何かをできていたら、あるいは、何か余計なことをしなかったら、その人はまだ元気で生きていてくれたのではないか?」

「他の誰かが、この人に対して、何かをできていたら、あるいは、そんなことをしないでくれていたら、その人はまだ元気で生きていてくれたのではないか?」

という思いがこみあげてくる時、あります。

これは結構ありふれて聞きます。

大切な人を見送ったことが7年前でも、まるで昨日見送ったかのように、後悔を続けている人もいました。

 

いやいや。

すべておわって、その人を見送った後になってみて。

亡くなった後から、それまでの経過を振り返れるから、

わかったような気持ちになって、

「実は、3か月前には、こうしてあげたらよかったと思う」

こんなふうな気持ちがでてくるのでしょう。

 

その渦中にある時には、何かできることをしていたはずなんです。

、、、だのに、まるで、何かをみすごして、してあげなかった、かのような

ざいあくかん(または、極端ないかり、ぱにっく、とまらない悲しみ)に転化させて感じてしまう人も、結構います。。><)。

こんな時は、愛情深い優しいこの方が実にかわいそうです。。><)。。。

 

もし、なくなる3か月前、大切な人に関わっているすべての人々を俯瞰して見たら、もっとよくわかることがあったとしても、、そこまで見えるのは神様であって。私たちは、(自分ができる部分だけの!)生身の努力を続けられるだけだ。

その時、その時の(できる範疇の!!!)最善だと思うことをしてきたら、そこまでで、「実によくがんばった!」、ですよ。

 

というのは、

その人のいきる力は、その人のものだからです。

 

その人の生きる力、に対して、

たすけようという助力まではできても、

その人本体に成り代わることはできません。

 

また、その亡くなった人だって。

ご自分のめぐりあわせがあります。

そこは自分で引き受けるしかないです。

 

その人の。

いのちの時間は、それで、ちょうどよかったのでしょう。

その人の魂さんのプランがあり、寿命については、他の人からは何ともいえません。

私たちは、他の人に対して、わかることも、わからないこともある、です。

 

 

私から。

向こうに帰った方が良く言いますことをざっくりとまとめますと、こういうことが多いです。

 

あなたとこの世で出会い(すごいご縁。)

いろいろあった、

素晴らしいやり取りもできた。

万感をこめて

一緒に生きてくれて

本当にありがとう。