私は、先日、ある西洋人演奏家の、仲間うちのサロンコンサートに行きました。
ここでは、プライバシーのため、この方の楽器、お名前も明確にはしません。
本当に信じられないくらいのすばらしい演奏でした。
私は、この方の背中のほうから、演奏を見ていました。
その音のあまりに透明なこと。
生身の人間のもつ、人間臭さ、みたいなものが、なくて!
そして、この人は、目の前に、肉体をもって、存在しているのですが、
私からは、血がまったくない、何か、紙のようなぺらぺらした物質(肉体)を
洋服のようにまとっているだけのような。。
この人が目の前にいるのが、信じられないような感覚を受けました。
よく、死を前にした方が、目の前に、肉体をもっているのだけれど、
同時に、そこに、もういないかのような、そんな感覚と同じようなものを
感じました。
そのひとから受けた印象を、なぜなんだろう、、と、ずっと疑問に思っていました。
すると、後日、この方について、詳しく知る機会がありました。
その演奏家は、実は、重篤な白血病で、ほとんど血の気がないような状態で。
日常は、自宅のベッドで、ほとんど気を失っているような状態で
寝ているそうです。
いつ、この世を去ってもおかしくないような肉体の状態。
一日のうち、意識をしっかり保てている時間は短く。。
しかし、なぜか、限られた人たちの前で演奏をする時、
この人は、その身体を動かせて、自在に、楽器を演奏することができる。
その奇跡が、当たり前のように起きていて。
そして、その演奏は、私を、また、他の参加者を、こころから
感動させ、、何か、言葉にできないような本質的なものを、
ふと、思い出させてくれるような、、すばらしいものになります。
瞑想的な美しさ、大いなる静けさをたたえた優美なこの方は、
やはり、何かの、大いなるもののお役目として、
いのちを支えているのでは、と、思うわけでした。
いのちのことは本当にわかりません。
というのは、おそらくもう元気になっていくだろう、と、
思っていた人が、思いがけない別件で、この世を離れたり。。
いのちのこと、が話題になりますと。
私は、やはり、神様、とか、おおいなるもの、といった、
はるかに大きなものの管轄、ととらえていいのではと思う次第です。
今日、私たちが生きていているなら、
また、あなたの愛するひとが生きているなら
その一日、一瞬を、大切なものとして
抱きしめて。
<当たり前>はないです。
出会ってくださってありがとうございます。(*^^*)
あなたにこころから感謝します。 (*^^*)
愛をこめて。
アナナス