愛するみなさま
いつもアナナスのブログに来てくださりありがとうございます! (*^^*)
今日もあなたのお役をしてくださりありがとうございます!(*^^*)
今日は、過去の話から。。
(今、練馬は暑いだけで、ここに書くお話がないのよ! ^^)
私が、初めて海外旅行に行ったのは、20代半ばくらい。
しかも、いきなり個人旅行! ひとりで。
なんでって?
なんでだろう。 ^^
デンマーク経由ウィーンまでの往復エアチケットと、最初のホテル数泊分だけを
予約して、あとは、現地調達しようと思って出かけた。(なんとかなった^^)
ウィーンの街をてくてく歩いていて、よく、知らないオーストリア人から
声をかけられた。 私はこのときまだ、若い娘。
《コンニチワ》 《アリガトウ》 《コンニチハ》
なんだか、とっても、ニコニコされて、歓迎を受けていた。
ありがとう、と、こちらも、日本語で返して。 ^^
そんな中、向こうから、旧ユーゴスラビア系の中年女性が歩いてくるのが見えた。
とても肉付きがよく、頭にスカーフをかぶっていて、すねまでの長いスカートをはいていて。
おそらく、3人以上の子供がいて、いいお母さんを長くしている人。。
彼女からは、台所のすてきな料理の香りがしてきそう。^^
彼女は顔をしかめながら、ぶつぶつ小さな声で、何か言いながら、歩いている。
で、、、、彼女がこんなふうに思っている、、と、わかった。
私は迷ったのだけれど、、、意を決して、、、、
彼女とすれ違ってすぐ、自分のバックからお財布を取り出し、
(当時オーストリアシリング、、まだユーロというお金は存在しない)
小銭とお札を何枚か、、合わせてせいぜい200オーストリアシリングくらい、(日本円で
2000円くらい) をひっぱりだした。
それを手にもって、彼女をおいかけて、彼女の手に渡した。
すると、彼女はお金を、大切に握りしめて、目には涙がにじんできて、私が知らない言語で、
何かお礼と、こんなふうに困っていた、という事情と、それから、神様ありがとう、
あなたに神様の祝福がありますように、、、、
といったことを、おそらく、言葉として出した。
いやいやいやいや。。。。
受け取っていただいてよかったでした。
神様タスケテ、、、、
という彼女の言葉があった。
すると、神様は助けなくてはならない。
それで、一番近くにいた私を、使ってくれた、ということだと理解した。
(私は、彼女は、家族の食べ物を買うお金が欲しい、と、祈っていたと感じた。)
(旧ユーゴスラビアは、このころ、政情不穏で、多くの人が、安定を求めて、
隣国オーストリア等に逃れてきていた。
彼らは難民のように貧しく、とても困っていた。。。><)。。。。
旧ユーゴスラビアは、その後、90年代、痛ましい内戦状態になった。)
その10年後、私は、南インドに来ていた。
サイババさんのアシュラム内、インディアンキャンティーン(インド食を出す食堂)があった。
そこで、朝9時くらいから、お茶の販売があった。
チャイ(極甘ミルクティ、スパイス入り)、ミルクコーヒー(もちろん極甘)。
が、それぞれ、何ルピーか。。
浅黒い肌のインド人スタッフ方が、いくつもの大釜に、チャイ、ミルクコーヒーを作っていて、その甘~い匂いが、暑い空気の中、たちこめていた。
特に、白い肌をした西洋人が、お茶を買うため、長打の列に並んでいた。
彼らは、白いパジャマクルタ、というインド服を来ていて、涼しげな姿なんだけど、
でも、やっぱり暑そう。 ^^
私も、100人ほど並んでいる列の後ろに並んだ。
なかなか自分の番がこないのは、ヨーロッパ人が、ひとりで数人分のチャイを
買っていくから。
やっと、自分の番が来て、チャイを3つとか、手にもった彼らは、みんなうれしそうだ。
そんな光景の中、、、場違いに見えるような人がひとりいた。
インド人の老婦人、痩せた小さな体の、黒い肌の人。
この人が、食堂の一角で、小さくしゃがみこんで、ぶつぶつ、何かを唱えている。
誰も彼女を顧みない。オブジェのように、この人がいる。
私はこの人が気になる。
で、やっぱり、聞こえる《神様タスケテ》
それで、、、、
私の順番が来て、チャイを2つ、お金を払って、受け取った。
そして、その足で、彼女に、チャイをひとつ、手渡した。
彼女は当然のごとく、威厳をもって、チャイを受け取った。
その光景を見ていたヨーロッパ人方が、驚いていた。
私は、そそくさと、その場を離れた。
(この話を、私がえらい話とは絶対にとらないでください!m(__)m)
私が言いたいのは、、以下。
神様タスケテ、という人の声が、こころの内側であがったとき、誰かが
それを感知するようになっていると思う。
そして、できたら、その助けができたらいいね、、ということ。
神様の助けは、人からくる。
天使からもくる。
また、直接、神様が、人の形をとってくることもある。
この場合、とても特別な人!形だけ人間だけれど、全然違う存在感でくる!
それを受けとれるためには、その可能性を信頼していること。
奇跡の可能性はいつも、日常の隣にある。
もちろん、人間側が、何も努力しなくてもいい、という意味ではない。
とにかく言えることは、私たち自身が、自分の本質でなるたけ在る、というのは、
みんなにとっていいことなのでは、と、思っています。
(もちろん、人生を楽しみながら。 ^^)
今日もありがとうございます。



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