医療と代替医療の比較
医療は、、ご存じのとおり、長い歴史を持ちます。
同じ症状やケガの場合、どんなふうに手当するのが一番効果的なのかを、実践から検証、理論、情報化してきた、その積み重ねがあります。
それらは、いつも第三者の批判にさらされ、どんな条件でも再現化できるように、修正を加えられてきました。
今現在の医療の進歩を、私たちは、ありがたく享受しています!
以前なら致命傷になるようなけがや病気でも、現在、助かる例は多々あります!
。。。それは、それまで助からなかった歴史上の無数の人たちの犠牲の上になりたっているようなところがあります。。。。
一方、代替医療といいますと、医療と同じか、それ以上に歴史は古いでしょう。太古では、神とつながるシャーマンや薬草の知識を持つメディスンマンがしたり。。
私のしています、ヒーリングは、サトルエネルギーの世界のものです。(サトル、とは、微細な、という意味でここでは使っています。)
ヒーリングは、メソッド的なものはありますが、医療のように一般化、はされにくい性格をもっているのでは、と、とらえています。 医療のように、批判眼をもった客観性をもって検証されにくい性格のものではないかと、私はとらえています。
というのは、検証しよう、という眼をもった段階で、サトル・エネルギーは変化します。
科学者の目と、サトルエネルギーを扱う目の違いを説明するのに、ひとつ例を出します。
夏に生きるセミという昆虫がいます。
セミは、一般的に、土中からでてきて、7日間程度だけの命だということになっています。それは、科学者のような、<観察している誰か>が、目視をしていて、大方のセミに対し、ほぼ、そういう結果がでたからでしょう。
しかし。。。
私のような、サトル・エネルギーを動かすもの(ヒーラー)なら、<セミの命は7日だけ>とは思わないです。
セミは、人間の観察者から、<おまえは、土中からでてきて、いったい何日で死ぬのだ?>という視点でずっと見られています。。果たして。これはストレスにならないでしょうか???
もし、その観察者の条件が負荷としてかからなかったら、自然界にあるセミは、もっと長生きしているのではないでしょうか?? ^^)
医療は、同じカテゴリの症状を持つ人、、それを、ぎりぎりまでカテゴライズ、一般化していくとらえ方をして、効果的に対処するのはどうしたらいいかというとらえ方をするでしょう。 この分析技術が確立している点で、医療技術は、ありがたいことに、積み重ねられ、革新、一般化していったわけでした。
一方、ヒーリングといったサトル・エネルギーにより癒しを促進させようとする側は、もっと、その人個々のエネルギーを見ています。この場合、この症状の場合、一般的にこうだ、という視点は少な目です。というのは、同じ症状を経験していても、AさんとBさんのサトルからくる理由は、全然違うととらえます。
また、何らかの意図が、物質に与える影響は軽くないので、それも見ています。
科学者の目、サトルを扱う側の目、どちらも必要な視点だと思います。医師とヒーラーが協力できたら、癒しには最強なのではと思う次第です。(*^^*)それができたらいいなと思います。
おつきあいくださりありがとうございました。