昨日の話の続きです。
昨日のお話、個人的な自分と、社会的な自分のお話はここから。
優しくて、とても責任感の強い方は、自分の課題だけでなく、人の課題も、漠然と、
感情的に大きく引き受けてしまうことがあるかもしれません。
たとえば、、、
あなたの友人が、肥満で、生活習慣病の懸念があるので、食生活の改善をしてください、と、
検診で指導されたとします。
この人は多いにショックを受け、
あなたに対して、《どうしたらいい?》と、アドバイスを求めたとします。
あなたは、知り合いに、この友人と同じような体型で、肥満を脱し、
健康に戻った人がいるので、その人から聞いた食事療法と体操方法を、詳しくアドバイス
しました。
友人は、あなたの話に、メモを取りながら、なるほど、ためになった、ありがとう、
といい、その場は別れました。
あなたは、友人のためになれた、と、喜びました。
そして、、、
一か月後に、友人に会ってみたら、、、
友人は、肥満が増していて、《ストレスで余計に食べちゃったわ》と笑い、
同じ心配を訴え、あなたに、《わたし、どうしたらいい?》 と、言います。
どうやら、一か月前に、あなたがお話したことを、すっかり忘れている様子。。
どうします?この時?
この場合、あなたの問題は | ・友人の体を心配している。願わくば、友人が、健康になってほしい。 |
友人の問題は、 | ・自分の体を健康にしなくては、食生活を変えなくてはならない。 |
この場合、責任感の強い方、とてもまじめな方は、その友人のことを、
私がなんとかしてあげなければならない、、さもないと、この人はとても困るのでは
ないか、、と、とらえることです。
しかし、あなたは、一か月前、この友人に対して、こうしたらいいのでは、という情報を
渡した、そして、この段階で、あなたはその友人に対して、すでに貢献しています。
もしかしたら、友人は、食べることをものすごく楽しんでいる人で、その習慣を変えることが
いやなのかもしれません。
友人の意志の内容について、当人でないあなたには、責任はありません!
あなたの課題は、願わくば友人が健康になってほしいから、自分のできることを
ちょっとだけしよう。 ここまで。
そこから先は、友人自身の人生の課題であり。
あなたが、もし、この友人の考えに、残念なものを感じたとしても、
それ以上は、その友人のことを、自分のことのようにとらえて、感情的に
過剰に背負うことはない、ということです。
自分の課題= 自分のすること、自分の人生 | 相手の課題 =相手の人生 |
この場合、あなたは、友人の心配について、過剰に感情的にひっぱられなくてもいいです。
もしかしたら、
友人は、一か月前のあなたのアドバイスにぴんとこなかっただけかもしれません。
(ぴんとこなかった場合、その方法を採用しなかったのは、仕方ないです!
だれもわるくないです!)
後日、友人は、テレビ番組で、肥満対策の特集番組を見ているうちに、
私も、食生活を変えて、ちょうどいい体重に戻りたい、と、気持ちにスイッチが
入るかもしれません。
あなたが、この人を心配しすぎなくても、当人は、どこかで、自分に合った道に気が付き、
よい選択をする可能性は、いつでもありえます。
とにかく、
感情的に、人のことに引っ張られすぎないことになれると、
もっと、自分の人生をよく生きることができます。
自分と相手の境界線がしっかりあるといいですね。
今日もありがとうございます。(*^^*)
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