認知症の方の家族の言葉。アメリカの実例。

また別の認知症の方の実例をご紹介します。

私のアメリカ人の友人、彼女のお父さんの例です。
彼は、もともと、リーダータイプの積極的な性格、自分のビジネスを拡大させて
いった実力者。 家族の庇護者。 いわゆる男性的な性格の方でした。

しかし、この方、70才を過ぎたころから、家族に、意味なくどなる人になっていき。。
病院で脳を見たところ、脳がすかすかになっていって。。

75才の現在、彼は、認知症患者さん専用のホームに入っています。

この場所は、緑がたくさんあって。 
建物は、木をたくさん使ってあって。部屋は明るく居心地よく。
写真を送っていただいたのですが、車いすに座ったお父さんは、元気そうに見えました。

娘さんは、お父さんの認知症発症で、もちろん、とても悩みました。

彼は、その病名を告知された時には、すでに、あまりよくわからない意識状態になって
いたそうで。 うつ状態のように、ほとんど喜怒哀楽がない状態かと思えば、激昂する
ようなこともあったそうで。。

彼の奥様はすでに亡く。。
私の友人である娘さんひとりが、介護者になりました。

自宅介護で、ヘルパーさん訪問を受ける生活から、、、
紆余曲折の末、現在の、認知症患者のためのグループホームに住む生活。

このグループホームのヘルパーさん方、看護師さん方は、患者さんに対して、フレンドリーに接し。
大型犬が定期的に訪問する、ドッグセラピーもあり。 

《父は、現在の在り方に、まあまあ幸せそうなのかもしれない》、、と、友人は言いました。

昔はあんなに強いすごい人だったのに、、、という世界は終わり。。
そのことに、時々、めまいのような悲しみがこみあげてくるけれど。。

でも、穏やかな晩年を過ごしている、という意味では、これでいいのかもしれない。

私は、ずっと、強い父のもとで、自分は社会の表にたたないですんできた、
いつもピンチの時、父の助けがあり。。

しかし、今、その強かった父のピンチの時、自分が彼の助けになるしかない!
と、強くならざるをえなかった。

今まで、父は、自分のために強い父でいてくれた。
でも、父は、晩年、私を自分でしっかり生きていける人間にさせるためにも、
試練を与えたのかもしれない、というとらえ方もするようになった。。

そんなことを言っていました。

私が、彼女に、ペコロスさんの例を、おそるおそる説明した時。。
彼女は、ペコロスさんの案を、涙ながらに受け入れました。

認知症患者のこころが、時空を飛び越えて、ありとあらゆるその人の人生の時間に行って、
その時、できなかったこと、やり残したこと等の、何か、そうするべき作業をしているのでは、、


という仮定的認識です。

父のこころに、直接ふれることができなくて、今現在の父の姿を見て、
こころがへこんでも、、

それでも、彼の意識の中では、きっと、外からはわからないような、非常に不思議な
ことが起きていて、それらは、きっと、彼にとって必要なことを含み、、

そういった認識を、こちらで思えるなら、もう少し救いをもてるかもしれない。。


といったやりとりをしました。

今日もお付き合いくださりありがとうございました。

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