私は子供の頃、岩手のおじちゃん(母の兄)からとても愛情を注がれました。
彼はとても朴訥な実に真面目な性格。かつ、好奇心が強く、社交家であり、人々との楽しい交流を好みました。
彼は、岩手県の小さな会社にずっと勤めていて、奥様と2人の息子と暮らしていました。
おじちゃんのおそらく控えめなお給料と、奥様のパート賃金とでいつもお金のやりくりをしていて。無駄遣いを極力せず、息子たちのために貯めておく。
息子さん方2人を岩手から東京の大学にまで出すのは、経済的に結構たいへんだったろうと想像しています。 父親として、息子たちには良い可能性ある方に生きてほしい、と、望んでいました。
そのおかげさまと、当人方の努力とご縁により、息子たちはそれぞれ大学を卒業して、2人とも東京に残りました。一人が自分の会社を立ち上げて運営していて。もう一人は大手の会社で勤務しています。
時間はあれよあれよと過ぎていき。。
おじちゃんは78歳に。私は42歳に。
おじちゃんは肝臓がんで病院に入院していて、もう末期とのことでした。
ある日もう危篤になり。
親戚中にその連絡がいった。
会いたい人がいるなら会わせてあげて。
そのタイミングで、私は、東京駅から東北新幹線に乗り、一関駅で降りて、タクシーに乗り、おじちゃんが入院している病院に行きました。お昼頃には着きました。
大きな総合病院でした。建物はまだ建ってまもないような。
おじちゃんが入院しているという病室のフロア、部屋番号を聞いてそこにたどりついたのに、4人部屋のその部屋には、痩せた老人期の男性ばかり3人ベッドに寝ていて。 (私の伯父はここにはいないのじゃないの??)、と、思いました。
それでこの病室を出て、廊下をうろうろしていたら、おじちゃんの奥様(おばちゃん)がやってきました。
彼女と話してみてわかったのは。
その部屋に寝ていた、酸素マスクをつけて寝ている、か細い身体の老人の一人が、おじちゃんだということでした。
元気な時と比べるとショックでした。
私はベッド脇の椅子に座り、おじちゃんの様子を見ました。
酸素マスクをしているので、酸素は十分足りているのでしょう。
とにかく呼吸をして身体は生きている。
精神はどこにいるのかわからない。
もうこんこんと深く眠っている。
人間は、意識不明でいても、聴覚は案外大丈夫なもので。
誰かが話していることも実は聞こえている、、 というのを私は知っていたので。
おじちゃんの手の上に、自分の手を軽く触れて、挨拶しました。
「おじちゃん、こんにちは。私、ひさこがきたよ。 久しぶりだね。 どうしていたかと思ったよ。。。」
そうして、、20分くらいそんなふうに、たま~に、思いついたとりとめのないことを小声で話して、こんこんと眠っているおじちゃんと一緒にいました。昔こんなことがあったね、、、
私が子供の頃、おじちゃんが仙台の七夕さんに連れていってくれて嬉しかったよ、あの時はありがとうございました!
(おばちゃんはこの間、私に任せて、休憩してくる、とのことでした。)
すると、、、 おじちゃんの身体の内側から、、何か、いのちの力が蘇ってくるような感じがしてきました。。
文字通り、半分向こうに帰っていたような人が、蘇っだ!
彼の意識が戻りました。ぱちっ、と自然に目が開きました。
しばしぼうっ、としていましたが、ほどなく、私と目線がしっかり合ってきました。
声を出そうと努力しています。
声が出ました。
酸素マスクをつけているのでくぐもった声です。
「あれ?ひさこ。来てくれたの!」
「うん。私来たよ。おじちゃん、お帰りなさい!^^)」
おじちゃんはフツーに戻ってきた感ありました。
「俺、、よく寝ていた?」
「うん。よく眠っていたね。」
ここで、おばちゃんが休憩から戻り、病室に入ってきて。
おじちゃんの目が覚めて、私と普通に話をしている光景を見て驚愕して、ナースステーションに走っていきました。。
医師が来ました。
何やらいろいろしています。
おじちゃんは、酸素マスクはもう不要だという事で外されました。
いつものおじちゃんが、ふつうに話をしています。
「お腹すいたな~」
ああ!そうですよね!
身体持っていると、私たち、食べなくてはですものね!
それで、医師、看護師とのやり取りがあって。
おじちゃんには、「夕食」が出されることになりました。
もちろん、さつきまで死にかけていたので、口触りのよい、豆腐とかおかゆ、といったものくらいのようです。
その日の夕方。
おじちゃんは、おばちゃんの食事介助を受けながら、スプーン一口のおかゆ、フードプロセッサーにかけてあるどろんどろんの野菜スープといったものを、しっかり食べていました。
おじちゃん、すごい!
と。私は思って。
その後、岩手の他の親戚(男性、68歳。)が病室を訪れました。ユーモアある人。水沢在住。
その親戚は病室に入ってくる時、神妙な顔をしていました。
もうおじちゃんとは永遠のお別れをするという心づもりで来ていたので。。
しかし、、この時、おじちゃんは、おばちゃんから介助受けて、おかゆをもりもり食べているところだったので。
その親戚はおおいに驚きました!
「何だよ!ジゴク(!)から帰ってきたのかい!」
「勝手にころすな! 俺は生きているよ!お腹がすいているんで食べてる。」
「助かって良かったな。 この分なら、あと3年は大丈夫だな。」
「なんだよ。3年だけかよ?俺はあと10年は生きるぞ!」
和やかに笑う私たち。。
この親戚はとても喜び、おじちゃんはきっと俺がわざわざ来てくれたからジゴク(笑)から戻ってきたんだろう、と、にこやかに笑っていました。
私は、おじちゃんを励ますため、また、おそらく、この人とはもう次は会えないだろうと感じたので、、 おじちゃんに対して心残りのないように感謝の言葉をたくさん言いました。
子供の頃よくしてくれたこと。
私用の靴をたくさん送ってくれたこと。
アメリカの親戚が、カリフォルニアから12人まとめて来日したとき、岩手の親戚を取りまとめ、一緒に迎えてくれる準備をして、一緒に歓迎してくれたこと。。
私があんまりおじちゃんに、ここぞと感謝の言葉を言うので、
「そんなにお礼ばかり言われたら、まるで、これがお別れみたいじゃないか?」と、悲しそうな顔をしました。
私はその言葉を受けて、にっこりしました。
^^)まあまあまあ!(そんなことないですよ!)
このおじちゃんは、この日から半年しっかり生きて、その後、亡くなりました。
おじちゃんの葬儀には、私は、弟と一緒に車で岩手まで行きました。 ほぼ徹夜で現地に着きました。
おじちゃんの遺影からは、「自分の人生、山あり谷あり、いろいろあったけど、これで良かったよ」、、という感じが伝わってきて、さわやかな感じがしました。
2人の息子さん方が、夫の死に疲れて小さくなったおばちゃんを、左右から囲み、労わっていました。
この2人の息子さん方の未来の幸せのため、ご夫婦でずっとずっとがんばつてきたのだものね。
おじちゃんの口癖、「ひとつよろしく」
は、言われる度、私には意味不明でした。
アメリカの親戚が岩手滞在中。
おじちゃんが、アメリカの親戚に伝えたいこととして、「”ひとつよろしく”って、(英語で)言ってくれ。」と私に促して言ってきたのは、本当に困りました。
あの、ひとつよろしく って、
どういう意味だったのかな???
何か温かい思い入れがある感じだけはわかるんだけどね。
^^) おじちゃん、ありがとうございました!

