聖なる父性⑤ ベートーベンと父親。

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まず、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの話を。
彼は、ザルツブルクの宮廷音楽家である父親レオポルドから、音楽の手ほどきをうけます。
ヴォルフガングは、5才から作曲をはじめます。

そして、6才から、当時のヨーロッパ中の宮廷に、演奏旅行に出かけます。
各地で才能を絶賛され、ある時は、演奏3時間で、父親の収入の8年分を稼いだ、
ことすらあったそうです。。。要するに、今なら、人気アーティスト、アイドルですね!

ヴォルフガングの性格も、人をひきつける、明るい華やかなものをもっていたのでしょう。
ステージ向けですね!

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンの話に戻します。
ルードヴィッヒの父親は、14才年長のモーツァルトの例にならい、息子を、少年音楽家
として売り出そう、と、意図し、幼少の頃から、かなり激しい音楽教育を施します。

この父親自身、歌手でしたが、家計は、実家の父の援助をあてにしていたようです。
ルードヴィッヒ3才の時、この裕福な祖父が亡くなり、父親は、自分で稼がなくては
ならなくなり、、、

8才のルードヴィッヒを、天才少年音楽家として売り出すことで、息子にしっかり稼いでもらう、
を意図し、演奏旅行に出かけます。

少年は、父親から、≪家族全員を扶養できる、経済的成功をする音楽家≫
を強く要求され、その圧力が負担になっていたのでは、、を、想像します。

一方、モーツァルトの父親は常識人であり、プロデュース、コミニュケーション能力があった。
舞台設定を整えたところに、華やかな天才少年が登場するから、みなは
歓声をあげ、お金を払うわけで。

一方、ベートーベンの父親は、おそらく、そこまで、息子をプロデュースすることは
へたくそだったのでは。。。。。

ルードヴィッヒの演奏活動に、期待したほどの経済的効果が得られないことで、
この人は、がっくりしたのかもしれない。。

本来の歌手業も、結局は、アルコール中毒になり、失職し。
どこか、個人としては、人生から撤退しているような印象が否めない。

一方、ルードヴィッヒは、14才で、宮廷オルガン奏者として収入を得ていく。。。 

とにかく、ルードヴィッヒは、家族のために稼がなければならなかった。
だから、音楽の楽しみ、崇高さを知っているけれど、同時に、どこか、斜にかまえたような
疲れた部分も持っていたのでは。。

ルードヴィッヒ22才の時、父親が亡くなり、弟2人と、ウィーンに転居。
その際も、弟たちの生活の負担が、ルードヴィッヒの肩にかかった。
、、、、、、、、、、(ページの関係で省略します)、、、、

ルードヴィッヒ45才の時、上の弟が41才で亡くなり。
その遺児、カールという9才男の子がいて。

亡き弟は、カールの親権を、妻と、おじ(ルードヴィッヒ)の共同で頼む、と遺言。
弟にしたら、妻も、兄も愛し、信頼しているので、息子のために力を合わせて
育ててくれるだろう、との結論だったのでしょう。

しかし、ルードヴィッヒは、カールを自分の跡継ぎの音楽家にするのだと決め、
カールの母親は、それはやめてくれ、と言い、、2人はカールの親権を争いました。
(この数年間、ルードヴィッヒは心労のあまり、仕事が進んでいません。)

ルードヴィッヒの、カールへの音楽教育は、まるで、かつて、幼少時代に、父親から
自分が受けたものと似通っていたような激しいものだったようです。、

カールが、≪おじさんの愛が重たいんだ≫と、青年になってから自殺未遂をしました。

幸い、カールは命を取り留めたけれど、ルードヴィッヒがこの件でどれだけ
激しい衝撃を受けたかは、、、想像に余りあります。。

それ以降は、ルードヴィッヒは、カールに対して、ああしろ、といった言い方は
しなかったようです。

また、カールの身がたてるように、当時、極貧のルードヴィッヒがなけなしで
保持していた財産を、カールに譲ろうとし、

また、もうひとりの弟が、財産家になっていたので、カールに対して、お金を
ねん出してもらおうと頼んだけれど、、弟からあっさり断られ!

それについて、はげしく怒った、というエピソードがあります。
その怒りもあり、体調を崩し、結局のところ、57才で彼はこの世から去るわけでした。

ルードヴィッヒが父親から得たものは。

どんな自分であっても、とことん正直に生きること!
どんな自分であっても、わるびれないこと!


父親は、当初、宮廷音楽家として、その職にふさわしい立ち居振る舞い等を
期待されたけれど結局のところ、アルコールが元で失職した。

父親は、アルコールにのめり込まなければならなかっただけの、人生への
つらさがあった? 生きるむなしさ、かなしさ、こっけいさをわかっていた?
壮大な喪失感を抱えていた?

父親は、社会的な安定、とか、また、経済的安定、は望んでも今一つで。
とにかく、自分のこころのおきどころのほうを優先したのでは。

この父親の姿を見て、、一時には、ルードヴィッヒは、宮廷につかえ、職業音楽家に
なったこともあるし。 
貴族から年金をいただいていた時期もあった。(相手が死去したことで年金の権利は消失。)

結局のところ、晩年の50代では、貧困で困窮しても、自分の内面の納得する世界を
追及し、精神性をとことん極めていった。
彼の精神性のおきどころを、音楽を通して、とことん追求していった。

これはもちろん、彼が、健常者⇒難聴⇒全聾、、とてつもない試練を経験して
いたので、必然、社交から離れ、孤独にならざるを得なかった、という条件も
手伝っている。

彼が難聴になり、それを隠していた時期に、社交はうまくいかなくなったり、
また、相手がその事情を知らないことから、ルードヴィッヒの人格を誤解したことは
多々あったのでは、と、思われる。

・父親から幼くして、莫大な期待を背負わされたこと。
・父親のかわりに、家長の役目を引き受けたことで、生きる意欲の強い人になった。
・強烈な熱誠的な志向性は、この父親からもらったものなのでは?
 
 また、人間の持つ愚かさ、弱さ、人生の挫折、嘆き、悲しみ、といったことに
 対しても、こってり味わっている苦労人。 
 この人は、だから、人間らしさ、に対して、とてつもない寛容さを持てたのでは。

でなくて、
あの、悲愴ソナタ第二楽章のような、深い手ひどい痛みを経験し、それを昇華して
慈愛の極みの境地を経験した人でなければ、あの旋律は作れないと思います!
(このメロディは、みなさん、よくごぞんじ^^)

また、被護者である貴族や宮廷から遠ざかったことで、むしろ、曲想を自由に寝ることができた。
もし、誰か、あまり音楽的才能に欠けるスポンサーがいて、その人の好みや、当時の一般的流行に
叶うことを意図したら、ルードヴィッヒの音楽は、威力が半減したかもしれない。

お腹が弱くて、耳が聞こえなくて、愛情が強烈で、かんしゃく持ちで、神経質で引っ越し魔で。
センチメンタルで、友達を信じたら、とてつもない信頼を寄せ、意志が強く、
人間のおろかさ、悲しさをこれでもかと知っている、汚れた服を着た苦労人。 
人類愛を歌い、理想家で、心底、正直な人。そんな愛すべきルードヴィッヒ。 

晩年の友達のひとりには、こころ優しきフランツ・シューベルトがいて。
ルードヴィッヒの葬儀は、 1927年3月29日、彼の家から、教会に至る道まで、2万人の人が
参列したそうな。。