聖なる父性の話④ ベートーベンの人生。

愛するみなさま

いつもみんなのヒーリングルームに来てくださりありがとうございます。(^-^)
今日もあなたのお役をしてくださりありがとうございます! (^-^)

前回から、ブログ記事更新に、時間が開いてしまいました。
待っていてくださった方、すみません。ありがとうございます!

・・・

私は、特に、父親との関係性は、私たちの社会性の展開に直結しているという
印象を持っています。

極端な話しをすると。。 

父親がリチャード・プランソン(バージングループ総裁)だったら?
子供は、自然に、起業家としての考え方、アイデアをどう実現するか、目的によって
どんなチームを作り、どう人を動かすか、等を、父親から、自然学びそうです。

または、父親が、本田宗一郎だったら。
子供は、自然に、機械いじり、エンジン作りの楽しさ、二輪車、
チームでものを作っていく喜びと、接しそうです。

あるいは、父親が、音楽家のレオポルト・モーツァルトだったから!
アマデウス・モーツァルトは、父親から、音楽の英才教育を受け、
旅行につぐ旅行を、幼いころからすることができ、見聞を深めることができた。
その結果、とてつもない音楽をあみだしたわけでした。
36年弱の短い生涯に、626の作品を作り上げた、、信じられない偉業です。

ベートーベンの話しをします。

父親が、ヨハン・ベートーベン。
息子は、有名な音楽家、ルードヴイッヒ・ヴァン・ベートーベン。
1770年神聖ローマ帝国、ボン生まれ。

(日本ですと、江戸時代、徳川10代将軍家治さんの時代です!)

父親ヨハンは、神聖ローマ帝国、ケルン選帝侯の歌手(のちに楽長)でアルコール好き。
息子に対しては、虐待に近いような音楽教育をほどこしたという。
そのため、一時、息子は、音楽がキライになったとか。。。

父親のアルコールのせいで、稼ぎも途絶えがち。
祖父の援助により、一家の生計が成り立っていた。
しかし、ルードヴィッヒが3才の時、祖父が亡くなると、一家の生計は、困窮した。

14才の時、宮廷次席オルガニストに任じられる。

17才の時、憧れのモーツァルトに会うため、オーストリア・ハンガリー帝国、ウィーンに赴き、
目の前でピアノの即興演奏をする。
モーツァルトは当時30才で、≪フィガロの結婚≫を成功させた華々しい時!
ルードヴィッヒは、モーツァルトの弟子になることを望んだが、母親の病気悪化の知らせを
受けて、急きょ、ポンに帰る。しかし、最愛の母は、はどなく、肺結核で亡くなり。。
悲しみのどん底に。。

父は、アルコール依存症になっていて。
ルードヴィッヒ19才の時に、父は失職。
なので、ルードヴイッヒが、仕事をかけもちして、なんとか生計をたて。
父親と幼い弟たちの面倒もみたそうな。
(アルコール依存症の父は、何かとたいへんだったと想像されます。)

20才の時、たまたま!ポンに立ち寄った、ハイドンから音楽の才能を認められる!
弟子となることができる!
(一説には、かつて、ルードヴィッヒの才能を見抜いたモーツァルトが、ハイドンにその件を
話しておいたので、律義なハイドンが、ボンに訪れた、ということだそう。)

22才の時、ウィーン留学。ハイドンのもとへ。
それと前後して、父が亡くなる。(弟2人の生活も、ウィーンで抱えることになる。)
ハイドンから、本格的に、作曲技術を学び。^^
(パパハイドン、ありがとう! ^^)
(モーツァルトは、この時、もうこの世の人ではないでした。)

様々な貴族、パトロンとのやりとり。理解者。友人たち。
華やかな成功。

28才のころ、難聴がひどくなり。
音が聞きとりにくい⇒音が聞こえない、音が出たのがわからない


これは音楽家には、さぞかし辛かったと想像します。。。。

31才、音楽家として致命的な、≪聴覚を失っていく≫、事実に打ちのめされ、
32才、自殺を考え、有名な、ハイリゲンシュタットの遺書、を書く。

しかし、なんとか、この苦悩を乗り越え、生きる意欲を取り戻す。
彼は、従来の演奏音楽家ではなく、作曲専業の音楽家として生きていくことにする。

33才~43才までは、作曲がすすみ、傑作が多数生まれた。
・「エロイカ」「運命」「田園」などの交響曲
・ピアノソナタ、
・オペラ用楽曲などを作曲、発表。
この期間は、ベートーベンが生涯に製作した楽曲の半数を占めるほどの量と完成度。
非常に充実した時期だったのでしょう。
しかし、40才くらいから、全聾のため、会話には、筆談帳を使用。

45才で、弟カールが死去。
カールの息子の親権を、母親と、おじのルードヴィッヒが争う。
50才で、やっと、甥の親権を、取得することができる。
(甥本人は、母親の元に逃げ帰った!)

52才の時、当時、ウィーンで、流行作曲家として時代の寵児ともてはやされた
ロッシーニーが、訪問。

ロッシーニは、ルードヴィッヒの落ちぶれたみじめな境遇に涙したという。
この頃、経済的に困窮、「ほとんど、乞食をしなくてはならないくらい」の状態と
本人は書いている。

しかし、その一方で、52才~55才に作られた作品では、有名な 交響曲第9番合唱付き、
ミサ・ソレムニス、ピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲など。 
苦しみの極限を乗り越えた先にある、とてつもない精神性の昇華がみてとれる作品群。

56才の時、最愛の甥カールが、自殺未遂を起こす。(いのちは助かった)
この件が、ルードヴィッヒにどんな衝撃を与えたか、私は気の毒に思う。
彼は病床の人に。肺炎から併発して、4か月後亡くなる。
(死後の解剖では、肝臓、脾臓、心臓等、多臓器の損傷が認められたそうです。><)

ルードヴィッヒが、死の床にあった時、友人方に見守られて旅立ったことが
せめてもの。。

これだけてんこ盛りの不幸。精神の高みの圧倒的な栄光。。。
光が強ければ、そこにできる影も強烈でしょう。

では、次回はルードヴィッヒの人生に、父親がもたらした影響を考察してみます。
(^-^)
今日もありがとうございました。