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今日もあなたのお役をしてくださってありがとうございます! ^^)
今日は、マリア・カラスのお話を。。
マリア・カラス 20世紀最高のソプラノのドラマチックな人生。
画像:wikiから。
マリア・カラス(1923~1977)
アメリカ、ニューヨークで生まれた、ギリシャ系アメリカ人。
間違いなく!20世紀最高のソプラノの一人であり、また、ドラマチックな人生を歩んだ人。
1923年、マリアは、ニューヨークで生まれた。家族は、父母と、7才年上の姉。
母は、自分が果たせなかった夢を、娘に託し、姉娘には、一流のピアニストになるように、また、マリアには、一流の歌手になるよう、厳しい音楽教育を施した!
母は、姉娘をかわいがり、マリアとはあまりうまくいかなったようだ。
父は、妻の教育方針に反対をしたけれど、結局、娘たちは、母親の決めた将来プランに沿って育てられていく。
マリアは、良い声を出すために身体が資本だから、と、母から、甘いものを、こってりと与えられて育つ。。。その結果、とてもふくよかな、、一説によると、娘の頃には、173cmの身長に100kgとなった。。 肥満は、マリアのトラウマに。。
両親は不仲になっていき、離婚。。
母親は、娘2人を連れて、故郷のギリシャに帰ることする!
数年間は、ニューヨークに残った父親からの養育費が、送金されていたが、、1941年、マリア18才になる頃には、(第二次世界)大戦の混乱のため! 間遠に。。。
母親は、それまで、別れた夫からの養育費と、個人的な財産を切り崩しながら、娘を教育する専業主婦として、生活を続けていたが、それもだんだん先細りに。。。
姉娘は、その頃つきあっていた金持ちの息子に、家庭の事情を話し、、彼が、カラス家の生活費のめんどうを全部みることに! 姉と母親はそれで満足していたが、マリアは、<これは絶対によくない!自立しなければ> と、強く思っていた。。。。
1941年のギリシャは、第二次世界大戦がはじまっていて、枢軸国によって、分割占拠されていた時だ! ドイツ軍、イタリア軍、ブルガリア軍の軍人がアテネに駐留していて、、、、
一説によると、~1945までの間に、ギリシャ人30万人以上が、この3国の占拠による負担から、餓死したといわれている。。。穏やかではない。どんなに生きにくい暗い時代だったろうか。。。
こんな非常事態下で、女性だけの3人家族が、姉娘のつきあっている彼氏をあてに、なんとか、生き延びれたのは、よかったのではないかと。。。
マリアはアテナ音楽院に入学。
その際、声をみてくれた、デ・イダルゴという女性は、マリアの才能にほれこみ、学校の授業料を免除!してくれた。 さらに、マリアが生活費を稼ぐために、歌える場所(今でいうバイトか!)すら、紹介してくれた!
マリアは、イタリアンハウス、という、場所で、歌を歌うことで、お金を稼いだ!
第三者の証言によると、マリアと親密なやりとりをしていたらしき、イタリア人男性がいたそうな。。。 (しかし、この時は戦時下! 敵の男性と付き合うなど、とんでもない!というとらえ方のほうが一般的だっただろう。。)
、、食べるために!生きていくために!
敵(イタリア人)に対してだとしても、、歌を歌う、うるわしく魅力的に。。
とにかく、、
やりとりしているうちに、敵の男性の中にも、すてきなひとがでてくる、、と、恋にひっぱられていくあたりは、マリアの生きる情熱というか、、、外界の事情に関わらず、<わたしという個人>が、きっぱりした人だからなのか?
意志がとても強い顔立ちに見えるのだけれど。。
とにかく、協力者である、デ・イダルゴのおかげで、オリンピア劇場にて、マリアは歌手デビューを飾る! 絶賛される!
1945年、戦争も終わり、平和が戻る。アテネも占領から解放される。他国軍はいなくなる。
これから、いよいよ本格的に歌手活動ができる!と、喜んだのもつかのま、、、、
戦時中に、イタリア人の彼氏?がいたことを、歌手仲間から指摘され、それは、マリアへの強い非難になっていき、、、
結局、マリアは、ギリシアでの歌手活動を、事実上、できなくなっていく。。
戦時中に、敵国の相手に恋したために! その理由で!国の劇場から締め出される。。。
マリアは、きっと、この恋をした時はとても若くて、相手(イタリア)と自分(ギリシア)の背負っている国の事情など、自分には関係ない!恋を抑える理由になんてならなかったのではないか!?
若くて、<わたし>という強烈な自我があって、自信ともろさと、諸刃の剣のような繊細さをもって、、
とにかく、、、1945年、ギリシャでの歌手活動に見切りを付けざるをえなくなり、アメリカに舞台を移すべく、つてをさぐる。。
(同様に、第二次世界大戦時に、敵国の恋人を持った女性が、、戦後、同国の人間から、どんなにひどい扱いを受けたか、、、ギリシアはこの点、まだましな方ではないかと思われます!><)。。
マリア・カラスに話を戻すと、、
アメリカで歌手活動を試みたけれど、、しかし、これはあまりうまくいかず、、、
知人のつてがあり、イタリア人の、ジョバンニ・バッティスタ・メネギーニを紹介される。
この時、マリアは23才で、メネギーニは、51才。
メネギーニは、ロミオ・とジュリエットで有名な、イタリア、ヴェローナの名士だった。レンガ工場を経営し、しろうとながら、熱烈なオペラファンだ。
この人なら、何か、マリアの活路を開くきっかけを作ってくれるかもしれない。。。
(続く。)
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<マリア・カラスの伝記映画を参考にして構成。>